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2013/06/28

いろは歌・・・諸行無常・・虫送り(実盛さま)

今朝(6/28)の愛媛新聞に


いろは歌
七五調の「色は匂えど散りぬるを」から始まる歌。
音の異なる47文字から成り、同一の文字の重複がないように作られた。
手習い歌のほか、順序を示すのにも使われた。
10世紀末から11世紀中ごろに成立した・・(以下、略)(上掲載、写真の解説文を写す)






いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

仮名交じりにすれば

色は匂へど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず

解釈はいろいろあろうけど




文中の「有為」は仏教用語で、因縁によって起きる一切の事物。
転じて有為の奥山とは、無常の現世を、どこまでも続く深山に喩えたものである。
中世から現代にいたるまで各種の解釈がなされてきたが、
多くは「匂いたつような色の花も散ってしまう。この世で誰が不変でいられよう。
いま現世を超越し、はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい」などと、仏教的な無常を歌った歌と解釈してきた。
12世紀の僧侶で新義真言宗の祖である覚鑁は『密厳諸秘釈』(みつごんしょひしゃく)の中でいろは歌の注釈を記し、
いろは歌は『涅槃経』の中の無常偈(むじょうげ)
「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」(諸行は無常であってこれは生滅の法である。
この生と滅とを超えたところに、真の大楽がある)の意訳であると説明した。
Wiki「いろは歌」より


平家の栄華と没落を描いた『平家物語』
祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。
沙羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。
猛き者もつひには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ

入試前に、ここまで暗唱したが^^;
『平家物語』が鎌倉時代の作とされることを重ね合わすと、単なる文字遊びではなく、世の諸行無常なるを幼子にも教え伝える響き、韻を感じたりするが

この「いろは歌」・・現代の小学校の教科書に採りあげてあるんだろうか?
そうじゃないなら、英語授業の前に採用してもらいたい・

さて
6/30は「田穂の虫送り」(西予市城川町)

虫送り(むしおくり)とは日本の伝統行事のひとつ。農作物の害虫を駆逐し、その年の豊作を祈願する目的で行われる。
春から夏にかけての頃(おもに初夏)、夜間たいまつをたいて行う。また、藁人形をつくって悪霊にかたどり、害虫をくくりつけて、鉦や太鼓をたたきながら行列して村境にいき、川などに流すことが行われるところもある。地域によっては七夕の行事と関連をもって行われる。
「平家物語」に斎藤実盛が討たれる際、乗っていた馬が稲の切り株につまずいたところを討ち取られたために、実盛が稲を食い荒らす害虫(稲虫)になったとの言い伝えがある。そのため、稲虫(特にウンカ)は実盛虫とも呼ばれ、虫送りのことを実盛送り(または実盛祭)ともいう。(『角川俳句大歳時記』夏)
農薬が普及するまで全国各地で見られたが、現在は火事の危険などから行われなくなったところが多い。
   Wiki「虫送り」より

稲を食い荒らす害虫ウンカ・・実盛虫と呼ばれるそうだが

「こんどの日曜は「虫送り」ですね」と声を掛けたら
「そうじゃ、実盛さまじゃ。実盛さまじゃ。」と古老が
その口調には「お迎えする」って響きを感じた・・

(実盛の非業の最期に涙し、その無念を想う心)が、その顔に、その声色に顕れているように見えた

いまに伝承される平家物語を感じることができるかも
30日は田穂へ行こう


平家物語 · 巻第七. 八実盛最期. (現代語訳)


=====

斉藤別当実盛

越前国、南井郷(なおいごう)の河合則盛の子(幼名:助房)として、生まれる。
13歳の時、長井庄庄司 斉藤実直の養子として、長井庄に居住、名を実盛とする。
祖父の実遠以来、源氏との主従関係を結ぶ。武蔵武士として、数々の戦いで功を挙げた

●1155年(久寿2年)大蔵館の変・・・鎌倉に住む源氏の棟領義朝と、大蔵館に居住する義賢(義朝の弟)は、武蔵国をめぐって対立。義賢は義朝の息子義平に討ち取られるが、遺児駒王丸を実盛公がかくまい、後に信州の豪族に養育を依頼する。

●1156年(保元元年)保元の乱・・・天皇と上皇の対立に、源氏・平氏・藤原氏等が同族入りみだれての戦。
実盛公は熊谷直実、畠山重能(しげよし)ら坂東武士と、源義朝に従い出陣。悪七別当を討ち、ずば抜けた手柄をたてる。

●1159年(平治元年)平治の乱・・・実盛公はじめ、坂東武士17騎でめざましい手柄をたてたが、平清盛の策略に破れ、長井庄に帰る。
 ×源氏 VS ○平氏

これらの戦いによって長井庄は平清盛の二男、宗盛の領地となる。長井庄における、これまでの功績を認められた実盛公は、平宗盛の家人となり、別当として長井庄の管理を引き続き任じられる。
その後の実盛公は、農民の住み良い土地を作る為、庄内の開拓、治水、土地改良に努め、農作物の出来具合の面倒を見る事などから、農民から大きな信頼を得るようになる。

厚い信仰心を持つ実盛公は、庄内の平和と戦死した武士の供養、領内の繁栄を願って1179年、長井庄の総鎮守として聖天宮を建立。

●1179年(治承3年)冨士川の戦い

1180年、源頼朝が挙兵し、再び源平による戦乱の時代となる。実盛公は平宗盛の恩に報いるため、平氏として戦うことを決意。敵となった源氏方の、かつて命を助けた木曽冠者義仲(駒王丸)と戦うことになる。

http://www.ksky.ne.jp/~shouden/sane/sa-main.html より


6/30 実盛送り
西予市城川町


2013/06/26

伊坂幸太郎『砂漠』

伊坂作品を読むのは初めて。
ぼく(北村)が大學4年間の身の回りに起こる出来事を、春、夏、秋、冬の4章建てで綴る
大学の同学部同期の
鳥井(男 経済的に恵まれて、きわめて享楽的?無鉄砲?ボーリングで100万200万を賭けたり、事件で片腕を失う
南 (女 きわめて常識的な言動のヒトだが、麻雀が強く、物体移動をさせる超能力もある
東堂(女 きわめつきの美人 表面上きわめて笑わない・・が、きわめて繊細な感受性
西嶋(男 きわめて非常識的な言動のヒト
「きわめて・・」と書いたのは読んだ私の感想印象、きわめて色が鮮明
もちろん、作者の青春心象をデフォルメしたものではあるだろうけど
「その気になればね、砂漠に雪を降らすことだって余裕でできるんですよ」明るく喋る
西嶋くんには惹き込まれてしまいました^^
その西嶋くんが三島由紀夫事件を語る場面がある(秋の章)
「・・覚悟してた、って言う人もいますけどね、
俺は、たぶん最後まで信じてたと思うんですよ。
自分が本気を出して行動すれば、もしかすると、世界は動くんじゃないかとね、期待していたと思うんですよ。」
1970年(昭和45年)11月25日、ラジオの報道で知り、大街道辺りを彷徨った日が思い出されて目頭が熱くなった。
(だれでもいい、声を掛けたかった。話しかけられたかった)あれから43年


一方、ぼく(北村)は特徴的なところがない、無色
ぼく(北村)の恋人になるブティック店員の鳩麦さんは、きわめて明晰な素適な女性だなと思わせれられるが、
これは、ぼく(北村)が描くのだから当然か^^



無色の北村、色の鮮明な男女の五人組・・

読み進めながら、最近話題になった
『色彩を持たない多崎つくると、・・』が浮かんで来たりした

同じ男3人、女2人の五人
色彩を持たない、つまり無色の多崎
(几帳面さは、ぼく(北村)そのものの感じ
他の4人には(姓に)色がある
「アカ」と呼ばれる赤松
「アオ」と呼ばれる青海
「シロ」の白根
「クロ」の黒埜
アカとアオの順を変えたら
青・赤(朱)・白・黒(玄)
春   夏  秋   冬
・・・
しかし、この4人に色を感じないし、多崎の巡礼ってなに?(私の読解力の無さだろうけど^^;



モラトリアム青春小説として『砂漠』にイイネ!^^

「その気になればね、砂漠に雪を降らすことだって余裕でできるんですよ」







2013/06/12

トウファ・・何?^^;

午前の座学のあと、フィールドへ。

岩上田(がんじょうでん)
地質館
三滝渓谷を歩き、三滝神社

そして「トゥファ」

沢への入り口に立てられている標識



■中津川のトウファ

 「トゥファ」の語源はラテン語で「小さな穴があいている白い石」という意味から名づけられており、石灰分をたくさん含んだ水から、急速に炭酸カルシュウムが沈殿してできた岩石で、堆積には微生物の活動が関わっているといわれている。
 通称「唐岩」と呼ばれる山頂に分布するジュラ紀の石灰岩層を通過し、石灰分を多く含んだ地下水は、山の中腹から地表に出てきて大気にふれると、二酸化炭素が抜け出てくる。
そうすると地下水の炭酸刈るカルシウムは水にとけていることができず沈殿する。このようにしてトゥファが堆積する。
 水の流れが滞りやすいところでは、二酸化炭素が抜けやすくなる。
山間の沢では段差のあるところにトゥファはできやすく、トゥファのすぐ下は、小さな滝のようになる
 トゥファの表面には、フィラメント状のシアノバクテリアが生息しており、季節変化などもトゥファの形成に関係しているということがわかっている。

(座学資料)(アンダーラインは山本)



現地に向かう車中、資料を読んだが・・わかんない^^;


☆山間の沢では段差のあるところにトゥファはできやすく、トゥファのすぐ下は、小さな滝のようになる






現地に立つ
自らの目で見、触れてみることは大切である!と一人合点の納得^^



岩肌を見てると鍾乳石の誕生に立ち会ってる錯覚があったが、
形成のスピードなどまったく違う(トゥファの形成スピードは圧倒的に速い。現存できる時間は短い T課長)とのこと。





☆地下水は、山の中腹から地表に出てきて

湧水点に立ってみたくて少し上ってみましたが、小さな滝つぼに挿された何本ものホース
田畑の農業用水であり、飲料にも用いられているとか・・
(ずっと流れつづけて)

上流

Uターンしました

下流
この石灰分を多く含んだ水が湧出し流れ続けてたら
トゥファも形成されつづける

いつかまた
トゥファに合いにくることができる






2013/06/10

川が刻むモノ、大地に根ざすモノ 「肱川、四万十川の河川争奪(かせんそうだつ)」 (「鹿」のことも^^;

5/25、「四国西予ジオガイド養成講座」を受講しました。
と言って、ガイドを目指してではありません^^;

城川町魚成で畑を耕すようになって半年経ったころ、講座の案内チラシ・・

講座④に「黒瀬川」
「黒瀬川エリア」(三滝山、奥伊予、魚成ジオサイト)
内容として座学(苦手だが^^;)、地質館、三滝山、岩上田、トゥファ、穴神鍾乳洞、田穂の石灰岩、ジュラ紀化石産地、ギャラリーしろかわ、棚田・・

畑のある川向は田穂の隣り
「堂の坂(さこ)棚田」は、農作業の合間によく訪ねるスポット

三滝山には心に強く刻まれた想いもあります

  

いっぽうで岩上田?トゥファ?初めて見る名も
月に一週間から10日の通い農人、ワクワクドキドキ受講を申しこみました^^


■■■四国西予ジオパーク構想/■■黒瀬川エリア/■三滝山ジオサイト


三滝山ジオサイト

サブテーマ:山里に顔を覗かせる古大陸の断片

「黒瀬川構造帯」研究の発祥地として地質学の分野で重要な地域で、大地の成り立ちや黒瀬川構造帯について学ぶことができるジオサイトである。
また、三滝山及びその周辺地域では、三滝火成岩類を始めとする黒瀬川構造帯を構成する4億年以上前の岩石を観察することができる。
      
(5/25資料より)
(アンダーラインは参考としてリンク貼ってます。以下同じ。)


苦手な座学ですが^^;

「肱川の支流である黒瀬川の一部は、その昔、四万十川に流れていたことがわかっています。地形やレキ(石ころ)の並び方、レキの種類などの調査からそう報告されているようです。四万十川を肱川が奪い取ったことから「肱川、四万十川の河川争奪(かせんそうだつ)」と呼ばれています。」

のっけからの「肱川、四万十川の河川争奪(かせんそうだつ)」
惹きこまれました^^
高橋課長さんお見事!





四万十川は「日本最後の清流」で名高く、四国最長の河川。
その流れを一番に支えていると言われる支流の広見川の支流である奈良川の水を産湯に使った私^^;
長らく疑問に思っていたのがその流れる方向・・
水は高きから低きへ流れる
産まれた近永町成川(生年S24年。現在は鬼北町)の山奥に源流の奈良川が西下に隣接する宇和島市に流れず東へ流れ、鬼北町父野川に源流を発し西に流れて来た(そのまま流れれば宇和島)広見川に合流すれば、そこから広見川は流れを大きく東へ転回、山奥へ(そう思ってしまう)流れ四万十川に流れ込む・・なんで?(調べることもせず65歳^^;

河川争奪は、河川流域のある一部分を別の河川が奪う(自らの流域に組み入れる)地理的現象のことで、特に珍しい現象ではない(Wiki)ようですが

「肱川、四万十川の河川争奪(かせんそうだつ)」は、両河川の浸食力の差によるモノではなく、大地の隆起(地球が動いた。大陸が動いた。)の生したモノで、それ故
【日本で最古級】の黒瀬川構造帯を今に遺しているのですね・・大切な記憶が刻み込まれているんですね・・





(画像は座学、昼食のあと訪ねた地質館で)


「川の流れ」が「地形」を成して「生活様式」を醸成する 
(座学で高橋課長)


そう、川は道となって生活を文化を繋ぐ・・
黒瀬川が、その支流の三滝川が鬼北に流れていたとしたら・・・

厳粛な歴史に「もしか」は禁句かもしれませんが、ふっと過ったのです



三滝山を初めて訪ねたのは、東日本大震災直後の’11.4月でした。

misasiBlogに 「城川町窪野の八つ鹿」

youtubeにも^^;

   


高橋課長さんは、窪野八つ鹿の現役の踊り手とか!^^

「鹿」の話も聴かせて欲しいです(^^)


2013/06/09

水面にエメラルドブルーが!かわせみ!?

平年より早い入梅だったのにカラ梅雨?
今朝は細い雨が・・
肌寒い感じはあるが、かわいた畑、大地に優しい慈雨

きょうの作業はまたの日だな、存外にユッタリした気分で雨の中を歩いていたら
水面にエネラルドブルー(Biglobeなんでも相談室)が!
カワセミ!?


スズメ大、青い背、オレンジ色の腹。(カワセミ(日本野鳥の会)
鮮やかな水色の体色と長いくちばしが特徴で、ヒスイ青い宝石、古くはソニドリ(翠鳥[7]〈「立」偏に「鳥」〉、U+9D17)と呼ばれることもある。(カワセミ(Wiki)






カワセミ

奥伊予の畑に立ってもうすぐ満一年

初めて出合ったカワセミ

カメラを提げて出歩くようになって5年・

教えていただいたカワセミのスポットを訪ねたことも数多いが

初めてカメラにおさめることができたカワセミ

(畑になったね)

そう語りかけてくれたように思えた

(ありがとう
鍬を振り続けていくよ)

そう呟いたとき、水面にエメラルドブルーが・・

飛翔の景にシャッターを押すことはできなかったけど

鍬を振り続けて行こう

きっとまた逢いに来てくれるだろう

念じ続けよう

2013/06/05

チャート(岩石)に穿たれた水田「岩上田(がんじょうでん)」

四国西予ジオパーク/黒瀬川エリア/三滝山ジオサイト/【岩上田(がんじょうでん)】  
(四国西予ジオガイド養成講座5/25)




■岩上田(がんじょうでん)へ







■三滝川沿いの窪野地区には、水田地帯の中に周囲15~16m、高さ約5mのチャートの巨岩の上にある窪みに、約7㎡の小さな水田が開かれている。今でも耕作が行われており、少しの農地でも大切にしようとする地域の人々の気概が伝わるシンボル的な存在である。
 カメラの被写体としても人気が高く、田植えや稲刈りの時にはもちろん、四季を通じて山里の景観が楽しめるポイントである。
(講座資料より)




三滝川河岸段丘田を見渡し見下ろすようなチャート(岩石)に穿たれた田
それは、土と向き合った人の祈りが刻みこまれた田
河岸段丘田の見守りを託された神域に立った想いあり



今日へ流れ込む
明日へ!明日へ流れろ!