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2011/02/08

大正生れ(メモ)

父の蔵書に一枚のコピーが挟まれていた。
「大正生れ」と題された歌謡。
小林朗作詞/大野正雄作曲
一)
大正生れの俺達は
明治の親父に育てられ
忠君愛国そのままに
お国の為に働いて
みんなの為に死んでゆきゃ
日本男児の本懐と
覚悟を決めていた なあお前
二)
大正生れの青春は
すべて戦争(いくさ)のただ中で
戦い毎の尖兵は
みな大正の俺達だ
終戦迎えたその時は
西に東に駆けまわり
苦しかったぞ なあお前
三)
大正生れの俺達にゃ
再建日本の大仕事
政治、経済、教育と
ただがむしゃらに三十年
泣きも笑いも出つくして
やっと振り向きゃ乱れ足
まだまだやらなきゃ なあお前
四)
大正生れの俺達は
五十・六十のよい男
子供もいまではパパになり
可愛い孫も育ってる
それでもまだまだ若造だ
やらねばならぬことがある
休んじゃならぬぞ なあお前
しっかりやろうぜ なあお前


大正12年2月生まれの父も満州に赴いたようだが、当時のことを語ることはなかった。

一度だけ…
私が世帯を持った時、1975年、社宅に泊まってくれたさい
「俺達の期が一番、物故者が多い。その大半は先の大戦で…」
「…戦争は醜い…憎い…しかし、お前達を守る為なら、俺達が征く…」
普段は酒を呑まない父が杯を重ねたことがあった。
父52歳、私が26。

翌年、私は父になった。
四番の歌詞を読むと、この頃に作られた歌なのかも知れない。

父が愛唱していた記憶はない。むしろ父の感性には合わない気もするが

挟み込まれていたのは、「私の昭和史 宇和島ふるさと交遊録」
平成元年刊
著者の木下博民さんは旧制商業の同期生。

思想信条は別に、まさに同時代を生きた〜共生感

それは妬けるほどだ


「大正生まれ」の心のふるさと、アイデンティティー…

その子供達、団塊の世代の心のふるさとは

団塊世代の俺達は

まずは
「大正生まれ」に感謝、感謝

3 件のコメント:

  1. ばっちゃん2011年2月8日 18:49

    ばっちゃんは昭和51年生まれだけれど、
    「大正生れ」の詞にはグッとくるものがあります。

    遠野のじっちゃんは、昭和元年=大正15年生まれです。
    misasiさんのお父様よりも、ぺっこ下ですね。海軍でした。
    じっちゃんが初めて戦争のことを語ったのは昨年です。
    83歳になって、初めて語ったんです。
    語れるようになるまで65年。苦しかったんですね。
    「お国のために死ぬのだ、と、教育されたんだ。
     その考え方しか知らなかったんだ。」
    と、声を絞るように話していたのを思い出しました。

    同世代のお父様の想いが、いま、misasiさんの胸の中へ
    すーーーっと入っていったような、そんな感じがしました。
    (#^o^#)

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  2. 道を切り開いてくださった方々がいて
    今の私たちがいるのですね。

    毎日の暮らしの中で
    時として忘れそうになる感謝の気持ち、
    いつの世にも変わらない想い…
    改めて気付かせていただきました。

    心に沁み入りますね(^^)

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  3. うちの親父(故人)も満州では鉄道警備兵でした。
    少尉だったから、楽な事やってたのじゃないだろうか(^^)

    母(故人)が、引き上げの時は何もかも捨てて逃げて帰ったって行っていました。
    日本刀の良いのが何振りもあったのに残念だって。

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