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2011/09/20

【逍遥宇和島・チャリで行く】旧町名標柱を辿る(2)

いまも親しく愛称されている「六兵衛坂」も、「裡町」の小字だった・・
なんども登場している、この写真から続きを開始です。


写真を撮ったのは、先の8月26日。
Facebook友達の優子さんにお会いして、貴重なお話を伺いました(もう一つの六兵衛坂物語)。

しかし当日は、旧町名・裡町」の標柱に出会えませんでした。
亡父の語りの中に、辰野川の西岸筋を裡町と印象しすぎていたせいかも知れません。

前置きが長くなりますが、語りは次の一節です。

「川沿いに、傘屋さんがあって、渋の匂いが好きだった」

小学校への通学路だったのでしょうか。
生前にボソッと呟いたことがありました。
この二月に、亡父の仕舞に除籍謄本をとった時、生地が裡町であることを知りましたが

閑話休題
きょう、9/19旧町名標柱辿りの一番の目標は「裡町(うらまち)」です。

アーケード商店街を走りました。
この周辺には、なつかしい旧町名がたくさんあります。


【旧町名・袋町(ふくろまち)】


商店街と南予文化会館前を東(写真の右手方向。)へ走る道路との交叉点にありました。

旧・袋町の範囲

旧町名の由来は次の通りです。

袋町(ふくろまち)


 藩政時代、追手通・堅新町・本町と城堀に囲まれ、袋のように行き止まりになっていたので 
この名がついたといわれている。


お城山は目の前に見えます。




==

旧・袋町の標柱から東へ進むと、「旧・本町」の標柱がありました。


【旧町名・本町(ほんまち)】





旧・本町の範囲
町名の由来は次の通り記されています。

本町(ほんまち)


 旧藩時代、城下の町屋の中心で一丁目から五丁目まであった。
「本」とは根本の意で、商業地の中核として発展した。


旧・本町標柱から城山方を
==

東へ進むと、すぐに辰野川を渡る「丸穂橋」へ出ます。
ここまで来ると、方向音痴の私も直感出来ました。裡町は、近くだ!

ありました(^O^)/

【旧町名・裡町(うらまち)】



旧・裡町の範囲と、名の由来は次のように刻まれています。

旧・裡町の範囲
裡町(うらまち)


 裏町とも書く。
 本町に対して裏の町という意味で、旧藩時代には北の番所が置かれていた。
一丁目から五丁目まであり、小字の六兵衛坂は通称として現在も残っている。


標柱から城山方(西)の景。




長い営みが刻まれた町名・・


名前は消されても記憶は残ります。


   いや、遺さなければいけない。忘れてはいけないモノがある。

しばし佇み、煙草を一服させてもらいました。


===
旧・裡町の標柱から東へすこし行くと、青い橋、丸穂橋(まるほはし)に出ます。

西方を見ると、お城山を見ることができます。


南方、辰野川の上流両岸が、旧北町。


西岸は桜並木になっています。

丸穂橋の辺り
このあとは、下流方へと標柱を求めてチャリを走らせたのですが、レポは次回と云うことにいたします。

2 件のコメント:

  1. 昔の町名って大切ですよね。
    いろんなことが判るし、〇〇町□丁目ってなんだか。

    そこに住んでた人や、地形やいろんなもんが想像できます。

    今度宇和島にゆっくり行ってみたいもんです。

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  2. >きたきりさん

    コメントありがとうです。

    かなり道に迷いましたが、旧町名の標柱に出合うたびに、浮かんでくるんですよね。
    大切にしたい記憶です。

    宇和島漫ろ歩き!好いっすね♪

    返信削除

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