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2011/02/25

読み聞かせ・memo

【読書感想画】
2月25日、毎日新聞に32作品が掲載あり。
第22回読書感想画中央コンクールの受賞作品。
感想文とは違ったみずみずみさが印象的。

☆図書タイトルと画題
☆「としょかんライオン」〜マクビーさんたいへんです!! (小・低学年)
☆「車のいろは空のいろ」〜わあ びっくり (小・高学年)

何冊か読んで描いてみようと思う。

花組のmちゃんは素敵な絵を描いてくれそうだが

携帯からメモ☆

2011/02/08

大正生れ(メモ)

父の蔵書に一枚のコピーが挟まれていた。
「大正生れ」と題された歌謡。
小林朗作詞/大野正雄作曲
一)
大正生れの俺達は
明治の親父に育てられ
忠君愛国そのままに
お国の為に働いて
みんなの為に死んでゆきゃ
日本男児の本懐と
覚悟を決めていた なあお前
二)
大正生れの青春は
すべて戦争(いくさ)のただ中で
戦い毎の尖兵は
みな大正の俺達だ
終戦迎えたその時は
西に東に駆けまわり
苦しかったぞ なあお前
三)
大正生れの俺達にゃ
再建日本の大仕事
政治、経済、教育と
ただがむしゃらに三十年
泣きも笑いも出つくして
やっと振り向きゃ乱れ足
まだまだやらなきゃ なあお前
四)
大正生れの俺達は
五十・六十のよい男
子供もいまではパパになり
可愛い孫も育ってる
それでもまだまだ若造だ
やらねばならぬことがある
休んじゃならぬぞ なあお前
しっかりやろうぜ なあお前


大正12年2月生まれの父も満州に赴いたようだが、当時のことを語ることはなかった。

一度だけ…
私が世帯を持った時、1975年、社宅に泊まってくれたさい
「俺達の期が一番、物故者が多い。その大半は先の大戦で…」
「…戦争は醜い…憎い…しかし、お前達を守る為なら、俺達が征く…」
普段は酒を呑まない父が杯を重ねたことがあった。
父52歳、私が26。

翌年、私は父になった。
四番の歌詞を読むと、この頃に作られた歌なのかも知れない。

父が愛唱していた記憶はない。むしろ父の感性には合わない気もするが

挟み込まれていたのは、「私の昭和史 宇和島ふるさと交遊録」
平成元年刊
著者の木下博民さんは旧制商業の同期生。

思想信条は別に、まさに同時代を生きた〜共生感

それは妬けるほどだ


「大正生まれ」の心のふるさと、アイデンティティー…

その子供達、団塊の世代の心のふるさとは

団塊世代の俺達は

まずは
「大正生まれ」に感謝、感謝

2011/02/06

おりょうぐ

「おりょうぐ」この呼びでよかったのかな?
「御霊供」と印刷されたパッケージを購入。
さて、お膳の並べは…?
疎いでは済まされない無知である(苦笑い)

転送

「電報送りましたが、午後に着くようです。申し訳ないです。
大連からご冥福をお祈りします。」
葬儀の朝の時刻に、メール受信していた。
故人の五人の孫の一人であるMより。
電報は会館の方が届けてくださった。

祭壇の遺影に読み捧げようとしたが声にならない。
書き写して、Mの心を届けたいと思う。

■ご逝去のお知らせを受け、すぐにでもお別れに伺いたいのですが、それも叶わず悲しみが増すばかりです。
幼い頃より一緒に過ごしたこれまで日々の中で心に残る優しい祖父のたくさんの言葉、姿が偲ばれます。
弔問かなわぬ非礼をおわびし、
遠方より心からご冥福をお祈りいたします。M■

喪主の父(わたし)宛の弔電ゆえか、文に乱れがありますが…
じいちゃんへの感謝、哀惜の心は溢れていると思います。
天国へ転送いたします。
合掌

追記
父ちゃんへ
いま、Mの居る大連は、父ちゃんが先の大戦で大陸に赴いた地の旅順です。その地でMは頑張っています。

2011/02/05

1月31日

平成23年1月31日…
父が逝きました。旧北条市のh病院。
大正12年2月20日生、満年齢は87歳となりますが、数え享年89歳。米寿を全うです。
宇和島で仕舞うことにしました。
愛媛の南予と呼ばれる地方ですが、雪が残っておりました。
不義、不忠の私ですが31日の夜、香の番を務めることが出来たことは有難いことでした。この日は、私の満62歳の誕生日でもありました。

1日の通夜。2日の葬儀を終えて福島に帰る長男から、4歳になる孫からの贈り物を手渡してもらいました。
【62】歳月の重味に押し潰されそうになりましたが…足跡に責任は持たねばなりません。