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2011/11/05

せんばが峠から成川へ

■私の生まれたのは近永町奈良。(現・鬼北町)
住所表示は奈良XXX番地であったが、小字の成川で呼ぶのが普通で、山奥であるが北川、牛の川と川の付く地名が多い。水分の地名もある。
成川渓谷の名は景勝地としても親しまれている。

成川には小学3年にあがる春までを過ごした。
その後、足は遠のいた。
血縁がないのが大きな理由だが、宇和島市から水分、成川、近永町(その後、広見町、鬼北町となる。)への道路事情が厳しかったことがある。成川にバスの通ったののも私が幼稚園に入った頃だったと思う。

厳しさの象徴として印象されている地名が、「せんばが峠」「鮎返」である。
「せんばが峠」の名は、千もの曲がりくねった峠道に由来するのではと思えるものだった。
「鮎返」は字句の通り、遡上する鮎が引き返さざるを得ない急峻な地点と云うことだ。

■そんな道路も現在はこんな感じに。


宇和島市街(手前)から鬼北町方向。国道320号線。
須賀川の支流、”正し川”に架かる”新折付橋”(昭和50年6月架設)
橋を渡り鬼北町方に少し進めば鮎返隧道があります。(昭和54年竣工)

昭和50年は結婚の年。
牛の川まで仲人さんをお迎えに行って、嫁宅まで向かったのですが、新橋は渡ったことになります・・
隧道はなかったんだな・・・ 記憶が残っていません^^;;

この後も、この道を走ったことがないと云うことはありません。
それなのに、いまだに急峻な「せんばが峠」「鮎返」が心象にあるのは・・

初めて車を留めて「レンズ」を覗いてみました。


橋から正し川の上流方を

橋から須賀川を。下方に須賀川ダム湖面が。
朝方の雨靄は大分薄れてきていましたが
心象を覆うモヤリは・・拭いきれません。


■成川の生家の西の畑に柿の木がありました。
生家を購入していただいた方が、町にでられたあと田舎暮らしを望まれた方にお貸ししていると云うのは耳にし、道路から覗う外観に造作の跡を見ることもあったのですが、柿の木はずっと変わらない姿でした。

その姿を見ると、成川に帰ってきたと言う感慨めいたものをもつこともありました。幼い子供たちに「あの柿の木でよく遊んだんだよ」そんな話をしたこともあります。
と言って、深い思い出が刻まれているというものでもないんですが。


きょう初めて車を留めて様子を見せてもらいました。




見上げるような巨木の印象だったのですが、存外に小ぶりに思えました。
やはり8歳の眼ゆえのものなのかな、それとも55年経ったんだから巨木は朽ちて二代目の木になったのかな、そんなことを思いながら裏に回ると、雨戸も畳も取り外されて無住の廃屋となっているのが一目瞭然でした。

■庭木もブッシュのように



と言って、
55年の歳月が過ぎているんだから・それ以上の感慨、感傷はなかったのですが

■一輪咲いたサザンカの花

・・・
まだ硬い蕾はたくさん付けていますが一輪だけ、まるで来訪者を迎えるように
すこし以上に感傷っぽくなってしまいました。

逃げ出したい気分になって畑にもどったら

■カタバミが黄色い花を。


■名も知らぬ紅い花。


無住の、鍬の入らぬ畑に健気に咲く
いや、無住、鍬の入らぬ畑だからこそ咲ききることができるのかも・・

また逃げ出そうとしたとき


講釈は無用だよ


花は唯、おのが花を咲かせる


その無心さが人の心を打つんじゃないかな


人は唯、おのが命を咲かしきることじゃないかな


そんな柿の声が聞こえてきた。



ひとつ捥いで齧ってみた。


昔と同じ渋柿だった


そのことが嬉しかった。


成川にて、手帳にこんなことを書いていたのを写す。




2011/04/21

穀雨の青空・花みずき


"穀雨"の空は晴れ渡ってました。
そう云えば、ここんところ空を見上げてなかったのかも知れない。

久万の美術館へ行って、木下晋さんの鉛筆画に号泣したり
帰りには砥部焼まつりに寄って、火の造形に魅せられたり
その翌日には奥伊予の三滝神社へ「八つ鹿」を見学し、フルサトって、血の繋がり・・
みょうに感傷的になっていたけど

結局は自分カワイサの
「昨日への感傷」だったような気がする。


少雨、水不足がつねの土地、
はやくも水ガメの貯水量の減少が報道されはじめたが

見上げた空をツバメが飛んでいる。

そう、穀雨の空をツバメが飛んでいる。

Let it be 

レット・イット・ビー

あるがまま



「あるがまま」と「わがまま」を取り違える性が疎ましくかなしいが

気づきをあたえてくれた手紙に深謝し記す。

2011/03/31

【見つめる】(1)

◇今日は、山口の祐輝くんの誕生日(2才)


去年の10月19日、防予フェリーで柳井まで見送ったときの写真に

   【海は広いぜ!空はでっかいぜ! 君の眼で見つめよー!】


と、メッセージを添えて HappyBirthdayメールした。



「植栽して3年目の春に、淡紫の花を咲かせてくれたよ。」
と、「いたわり」の花言葉を託されたクリスマスローズの写真も添えた。

3/28撮影




◇3/26に、唯花、彩花姉妹が初めて防予フェリーに乗ったときの写真がフォトビューアーに送信されてきていた。



『うみは ひろいな おおきいな♪ 』と、キャンプションが添えてある。


【見つめる】 ふっと、そんなコトバが浮かんだ。


何を見てんだろう・・
確かに見つめている


イワキの姉妹の"見つめる"純な眼差しに倣いたい、学びたいと思った。




そらも みあげよう。 ちきゅうは ひとつ うちゅうせん」
そう語りかけてあげたいと思ったけれど
メールは止めて、tweet(泣き虫じぃちゃんの祈り)した。


(泣き虫じぃちゃんの、ワメキtweetには辟易されているむきもあるようだが、それが在るがママのオイラだから、お赦しをねがうしかない)


庭に出たら、この正月にユイちゃんと植えたチューリップが咲いている!








まだ青い蕾も、色を見せ始める蕾も





唯花ちゃんにメールした。

唯花ちゃんと植えたチューリップが咲いたよ♪
赤ちゃんの蕾も、いっぱいで~す(#^.^#)




ビオラもシクラメンも、クリスマスローズも








何を見つめてるの・・




今を見つめている




今を見つめいる






今を咲いている







2011/03/28

伝えたいこと

いま、yama_syoくんのtweetを読んでます。

いわき到着~! ♪(´ε` ) yama_syoは「休憩を小まめに挟めば意外にいけちゃう」をラーニングした。
posted at 15:16:50  (3/27.以下同じ。)


携帯の着信履歴を見返したら
直後に通話してました。(15:17)


わたしの、こんな「イマココ」tweetを見ていてくれていたことを納得しました。



@yama_syo 宇和島に着いたよ。\(^o^)/で、守谷って…、携帯からです(笑) 安全確認ヨロシク!!
posted at 12:50:48


冒頭に引いたyama_syoくんのtweetには、わたしのそれにある宛先がありません
伝えたい先が沢山あるのは容易に想像できますが
これは、先ず大きく深呼吸。
自分に宛てたtweetのように思えます。

4才、1才の娘と妻を、福岡市の実家に避難をお願いし
家族のために、ひとりイワキのイエに立てた身震いに耐えるtweetに思えます。


父は息子の伝えたいことを、そのように読みました。

二度、こんなtweetをしました。

きみの判断を諒する。

きみと同じく、宛先をおかないtweetだったと思いますが
一義の宛先は、自分自身なんですよね。

おのれの自身の判断を諒する。

換言すれば、「おのれの判断はおのれ自身の責任。瑕疵あれば自分が受けとめる。」なのかな。

と言って、唯我独尊の勧めじゃないです。

弱虫、泣き虫がヒトの性の一つとするなら、
だからこそ、
思い合う(想像し合う)ココロが大切なんじゃないだろうか。

尊重し合う、信じ合うことが大切(愛)ですね。

それが、共振、共生

コムーネ






白いクリスマスローズがことしも咲いてくれてます。




淡紫のクリスマスローズも植栽から3年目の春に花弁を開いてくれました。






花コトバには、さまざまな想いが込められているのだと思います。
それは、さまざまな祈りでもあるのでしょう。


こんな、クリスマスローズの花コトバもありました。


クリスマスローズに今ひとつ花言葉を加えるとしたら いたわり


http://www.wakaizumi-farm.com/index.html より。




自然のなかの、ほんの一部分として生かさせてもらっていることに素直に感謝し


等身大の湿度、温度で


いたわりあい、支え合い、思い合いの歩を踏みしめたい。




4月からの「読み聞かせ」。
「読み合い」をさせてもらうことに感謝して持続して行こう。




ありがとうございます。
だんだん。

2009/02/21

百日桜(惣河内神社)(一畳庵)

■訪れたのは2/11(建国記念の日)
最近は「さくらの湯」に愉しむことが多くて周辺をあちこち”ぶらり”している。

「表川」上流には「白猪滝」「唐岬滝」の名瀑が双つあるコースである。
おむかいさんに入口の集落(河内)に「金毘羅さん」があると聴いての訪問。

金毘羅寺を巡って、隣接の「惣河内神社」を参って ”百日桜” に出会うことができた。

その名は ”春秋冬冬を百日桜かな  (東洋城)” に依るものとのこと。

    ・・・・しゅんしゅう・とう? ・・・はる・しゅうとう?

境内に人影もなく。市のHPに質問を送ったら回答を頂戴した。

■備忘のために転載
【回答内容】
ご質問いただいた件について、ご回答させていただきます。
①「春秋冬冬を百日桜かな」の読みですが
金比羅寺にある百日桜を読んだ句です。百日桜は冬桜の一種で、秋から春にかけて咲く桜です。12月中頃が一番の見ごろといわれています。

俳句の読み方は、
はるあきふゆ ふゆをひゃくにちさくら かな
と読むのではないかと想像されます。

② 読まれた時候についてですが、昭和26年に読まれており、「東洋城全句集」の中に前書として「一畳庵高札の表」とあります。松根東洋城は、昭和25年
8月から昭和26年2月までの間、一畳庵に滞在していたことからこの時期に読まれたものです。読まれた季節は冬だと考えられます。

③ 東温市内にある松根東洋城の句碑についてですが、全3箇所確認されています。
(1)上林皿ケ峰登山道
「伊予土佐や山をたたみて夏霞」
(2)河之内惣河内神社
「山屏風春の炬燵にこもるかな」
「春秋冬冬を百日桜かな」

④ 金比羅寺の祭事等についてですが、主なものは次のとおりです。
(1)4月に春の大祭「おとうかさん」
(2)8月14日頃「お施餓鬼」

金比羅寺に隣接している惣河内神社は、紫陽花が有名で6月末ごろに紫陽花祭りが行われていました。(ここ数年は実施していないそうです)6月中頃には紫陽花が見ごろとなります。

■なにかポイントが増えて嬉しい。

 4月の「おとうかさん」  6月中旬の紫陽花 (先日も訪ねたら小学生とお母さんが二人で丹精込めて植えられていた。~ありがとうございます。 6月にお会いできたら伝えたい。)

一畳庵


■持続だな。そう持続。 道はいつも途上にありだ。

  次の「さくらの湯」には、もう少し障子を開いてみよう。


====='14.11.9 以下追記

春秋冬冬を百日桜かなはるあきふゆふゆをひゃくにちざくらかな
百日桜は10月頃から咲き始める。冬中咲き続け2月中旬頃冬の花が終わり、彼岸桜の咲く頃再び開花する。この桜を詠んだ句である。「冬を」の措辞に一年で最も寒い冬に咲く桜への慈しみが込められている。一畳庵(いちじょうあん)の前庭の池のそばに句碑がある。碑文の文字は読めないが、東洋城直筆の木板が神社に残っている。

愛媛の句碑めぐり575
http://iyokannet.jp/ginkou/spot/detail/kuhi_id/147  より

2009/02/20

雛菊が咲いていた

Posted by Picasa


Picasaからのup、書き込みのtestです。
今日は寒い雨・・・庭に咲いていた”雛菊”です。(やっぱり、デイジーよりピンと来る・笑い)

■2/21 今日は、すっかり晴れわたったが、風は冷たい。

  「乙女の恥じらい」なんてキャンプションをつけた。   アラカンmisasi

  「アラカン」と云えば"嵐勘十郎"の浮ぶ世代である。
    「アラフォー」さん、頑張って。 還暦もガンバル!

■お愉しみください。 2月の花々inMyGarden