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2014/03/19

【魚成シャエンバmisasi】3/17日18日

3月16日(日)、県歴博で遍路関連講座第3回を受講し夕刻に畑に入る。
今年二回目の作業。

【ソラマメ】
早播きを叱られたソラマメだったが、大霜、降雪に耐えて側芽を伸ばして花を着け始めている。
しかし、(これは初めて知ったが)中が空洞の茎は、やはり寒に弱ったんだろう地を這う感じに…

X字形に支柱を立て紐を張って茎を支えるように養生する。

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【ジャガイモ】
ソラマメの養生をやっていたら、和さん(師匠)が
「緑が綺麗やけん霜にヤられとらん。藁は除けてもええかも…
あ、ジャガイモに藁敷いたらエエは」
去年は、あとはマルチに任せとったらエエ だったが
「畝の間の溝に敷いたらエエ」

防霜のためではなさそう
保湿にエエんかな? と尋ねたけど回答なし^^;

ベテラン師匠の言うとおりにやればイイ(^^)



【スナップエンドウ】
年末には花を着けたスナップエンドウは無惨だった…
伸びた蔓は褐色
根元で切れているのも

ネットを外して土を起こそうとしたら若いミドリが☆☆
丈を伸ばした三界草(ホトケノザ)に護られたように、若芽が二つ

2mの支柱を立てて、藁で養生する。



【タマネギ】
昨年上手にいったタマネギは、紫を100本。早生を200、遅生を100本植え付けしたが
年初の入院…この所為にしてはイケないんだけど、
三界草、ペンペン草に覆い尽くされてしまっていた

鍬を打ち込むことは出来ない
手で草を取り、草を取ると
昨年初の姿には敵わないが、最初に植えた紫は結球を見せて
ミドリもシャキッと伸ばしている

コンモリと育っているのが【水菜】
播種のときに飛ばしてしまったタネは花を着けている。水菜の菜の花(^^)
シャキシャキと食べてやらなくては(^^)

水菜の向こうにタマネギが育っている
その向こうは、
三界草、ペンペン草に覆われている
次回の作業には土を起こさなくてはいけない



ミドリ輝かせ

【高菜】


【ブロッコリー】も
これが脇芽? それほどに育っている
【秋の郷(さと)】大根も、でっかく瑞々しい

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種の力
土の力
そして、太陽、雨、風も大霜も
皆の力の結集が農ーminoriー


2014/03/05

【魚成シャエンバmisasi】 畑起こし・じゃが芋の植え付け

3/3 宇和島から城川町魚成にりている【魚成シャエンバmisasi】へ。
シャエンバは菜園場のこととであろう。
初めて畑に来たころに聞いた言葉である。温かい感じが気に入って畑に「魚成シャエンバmisasi」と名付けた。 misasi(みさし、三刺)はSNSを始めたころからのHNだ(^^)

二度目の冬を越したが、正月明けに入院などあって(大したことはないが)
厳寒期に行う【寒起こし】の作業はできなかった
きょうは雛祭り(新暦)だ・・

しかし悔いたところでどうなるもんでもない。
ヤレルことをヤルしかない!(^^)

和さんが発する言葉で一番多いのが「畑は土を起こしただけのモンじゃ」

じゃが芋を植えるところに鍬を打つ。大きく大きく土を起こす。
すこしだけでも風を通して陽を入れてあげる。
グリーンに種イモを買いに行く。(まだ、あるやろうか?)


■JAグリーン
男爵はほぼ売り切れ。ネットが二つしか残っていない。
これは今からやし、美味いと言うんで栗じゃが(北あかり)を2ネット買う。
「えーかな!美味いけど、煮崩れしやすいけん気をつけんとイケんよ!」
こんな声を掛けてもらう。
頬が緩む(^^)

栗じゃが
堆肥(できるん・ど)3袋
化成肥料 8-8-8 1袋

■種イモの大きさを見て(適当に)、大きいのは二つに切って天日に干す

■もう一回、鍬を打って堆肥(腐葉土)をたっぷりと撒いて管理機を回す。
何度も何度も繰り返し回す。
左回り、右回り、そして急転回を繰り返す。
土を起こしただけのモンじゃー!(^^)

畝立てまでできるやろか。いや、やる心算でいたんだけれど(笑)
夕方5時の歌声時報が流れてきた♫
月替わりで城川の幼稚園児、小学生の歌声が時刻を知らせてくれる
今月は 「ふるさと」 だった

通い農人に滞在(作業)時間の制限はあるが、農事はそんな制限を越えたモノだ
無理をしても何にもならないのは、この一年半でいっぱい学んだ(笑)


☆閑話☆
シャエンバmisasi亭!(^^)




美味しヽ(^o^)丿


■3/4朝
奥伊予の朝は、まだまだ寒い
これからも霜が降りる
靄りがない。
(天気は下り坂かな)と思う。
(※日中は暖かくなったが、16時ころ暗い雲が湧いて来て帰路、犬寄峠辺りから雨が降ってきた)

■■じゃが芋を植え付ける■■

筋掘り5条

種イモを植え付ける筋に肥料を「置く!」
和さん曰く「ぱらっと撒くんじゃないぞ!!」

☆肥料が見えなくなるように土を被せて種イモを置く。間隔40cm。
和さん>肥料に種イモがあたってはイケん!!


■黒マルチ
種イモに土を被せ(5cmくらい)て
☆黒マルチで覆う!!☆
途中途中、土で押させていくのがコツ!
当たり前みたいだが、去年は頭にすら浮かばなかった^^;

平鍬で土を被せてマルチを押さえていく
8mの畝を2条
1条に種イモ20個植え付け


あとは、生長を待つだけヽ(^o^)丿

ところで、マルチに穴が無いじゃないか?!

■きょねん、初めてじゃが芋を植え付けするとき和さんが教えてくれた
「黒いマルチを架けてやっとらエエ」

「穴あけて芋を植えるん?」尋ねたら

「そのまま。そのまま!
あとは、土の水分と熱が育ててくれる。
芽が出て伸びてきたらマルチを持ち上げるけん、そこを開けてやったらエエ」

(エエ、え~)笑

「穴が大きすぎる!」 叱られた後日譚はさせ措いて、すごい技。すごい自生力。自然力です(^^) おのえばえ力!!


■さて、種イモのネットをみたら
植え付け時期は、1月から4月となっています。

暖地、寒地、その中間地があるからでしょうが、南北の違いの他に高低の差も大きいです。
同じ地区と思っても峠をひとつ越すと農事に違いがあります。

畑畑の農事があると言って良いのかも知れません。


「入院しとった言うが、病気は何じゃった!」・・
「今年は、じゃが芋植えんのか?」

去年は、駅伝の日に植えたけんな。遅なった思うとるとこよ」

「そうじゃったか、駅伝走っとった日やったかの」
「無理しちゃいけんがの・・じゃが、じゃが芋は2月中じゃ・と昔から聞いとる」

和さんと話したのは先週だった

農人misasiに最初に記憶されたじゃが芋の植え付けの日は駅伝の日だったが

去年の駅伝の日・・風が強かった
マルチを被せるのに難儀したな・・・

その時、声を掛けてくれて手伝ってくれたヒトがいる
お蔭でマルチを掛けることができた

そのヒトが話してくれたことに

きょうは風が強くて寒いけど
ネコヤナギが銀に輝いて、鮠(はや)が戻ってきたら春です

雪解け水で嵩を増した田穂川のネコヤナギが莟むころ、鮠が戻ってくるころ

それが、魚成シャエンバmisasiの「じゃが芋の植え付けの時期」だ(^^)

2013/10/16

「花は葉を想い 葉は花を想う」 彼岸花

急に秋の深まりを肌に感じるようになりました。
彼岸花も花を仕舞って花茎を倒して来ています。

10/15 魚成 田穂川の河岸で




猛暑の夏があっても
10月に入っても真夏日が続いても
野の草花たちは時の移ろいに従い季節を生きています。

中の畑の花壇の草取りをしてたら、
春に葡萄の果実に似た釣鐘型の青紫の小花を房状につけるムスカリが葉を伸ばしています。
雪の中でも春の訪れを知らせてくれる水仙も
夏に地上から姿を隠したワイルドベリーも、茎を朱に輝かせ緑葉を見せてくれてます。

10/15 魚成の畑で



青い葉が育って、花茎が伸びて花が着く
何の疑いもなく、そう思っていたんですが

彼岸花
秋のお彼岸が近付くと、それを知らせるように咲く彼岸花
葉もなく節もない花茎を突然のように地上に突出させてきます。

9/19 石手川の土手で

花茎が伸びて莟が赤くなってます。

地上に顔を出してかなり経っていると思います。


地上に顔を出した時は、まだ青い色をしてますが、地中で莟になったのかな?
丸みを帯びた柔らかい感じすらする姿です。
9/19 石手川の土手で
お彼岸のころに、突然のように葉も節もない花茎を伸ばし花を咲かすからでしょうか
彼岸花には、「死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)など不吉な異名も多くあります(Wikiを参照)」

一方、別名の曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来すし、「天上の花」という意味も持っており(Wiki参照)「天上花」「天涯の花」の異名もあります。

異名の多さは、それだけ多くの想いが彼岸花に寄せられていることの顕れとイイと思うのですが・

ところで、
花を枯らして花茎を倒した姿になった彼岸花の周囲に、美しい緑葉が伸びていますが
これは彼岸花の葉っぱだそうです。65にして初めて知りました^^;

10/15 深いミドリと柔らかいミドリをスッと伸ばし初めた彼岸花
花を枯らしたあと、グングンと葉を伸ばし冬を越し,
5月には葉を枯らし地上から姿を隠し
秋のお彼岸のころに突然のように莟を地上に現す

「花と葉が同時に出ることはない」という特徴から、日本では「葉見ず花見ず」とも言われる(Wiki)そうですが

隣国の韓国では、
花と葉を同時に見ることはできない。  葉のあるときには花はなく、  花のときには葉がない。  このことから 「サンチョ(相思華)」と呼ぶそうです(季節の花300 より)



同時に同じところに居なくても、

いや居れないからこそ
より強く固く想い合う

花は葉を想い 葉は花を想う


魚成シャエンバの「misasi堤」に、彼岸花の芋を移植して育てよう

2013/10/02

農人日誌 9月 「ようやんなはっとるな」

9月は
17日から21日まで
そして、25日から月末30日まで
ま、その間に21日は四国西予市ジオガイド講習、28日には雨包山自然観察会に参加もしたりしながらだけど^^;


畑作業の目標の第一は荒れてしまった畑を畑にもどすこと
畑に一ヶ月以上もくることができなくて、今年の前半を掛けた下の畑の開墾は、胸の高さにまで伸びた雑草の中に消し去られてしまっていたから


最初は、どこから手を付けてよいのか、それが判らない
上と中の畑に絞って、下の畑の耕作は放棄しようかとさえ思ったりもしたのも事実ですが

9/26
中の畑

下の畑


眼前の障害に目をつぶって何が農人
雑草が障害なら、雑草を取ればイイ
草を取って、土を起こして、それを繰り返したらイイんだ
イイと思うことをやればイイ


(褒めてやってもエエじゃろか^^)

甘い自己評価だけど^^;
そんなことを思えた30日のお昼過ぎ、

田穂川を挟んで畑の真向かいの宿舎側の川縁にカワセミの姿が
エメラルドブルーが耀いた

カメラを取りに行ってくる間、おなじ場所で

川面を見つめ

空を見上げ

待っといてくれたんやろか^^

数枚シャッターを押したとき、川面にエメラルドブルーを耀かせ葦の茂みのなかへ

飛翔の姿はとらえることができなかったが・

(そう、あの時もだ。)
そう、二度目のカワセミとの出会いです

ブログを繰ったら、今年の6/9のこと 「水面にエメラルドブルーが!かわせみ!?」

最後に、こんなことを書いてます。

カワセミ

奥伊予の畑に立ってもうすぐ満一年

初めて出合ったカワセミ


カメラを提げて出歩くようになって5年・

教えていただいたカワセミのスポットを訪ねたことも数多いが

初めてカメラにおさめることができたカワセミ

(畑になったね)

そう語りかけてくれたように思えた

(ありがとう
鍬を振り続けていくよ)

そう呟いたとき、水面にエメラルドブルーが・・

飛翔の景にシャッターを押すことはできなかったけど

鍬を振り続けて行こう

きっとまた逢いに来てくれるだろう

念じ続けよう



念じ続ける・・

何を念じて来ただろうか・・・


昼食を済ませてから
枯れ草に二度目の火をいれた
倉庫で見つけた大きなフォークのような道具で起こし切れてない根っ子をかき集めて燃やした

画像は15時すこし前

このまま天日で乾かしたらイイかなとも思ったが
燃やしガラを放置したままなのは・・
乾燥した日が続いているし風もある
そして今夕には松山へ発つんだから

16時

写真を撮ってたら、

「ようやんなはっとるな」

マサルさんの声だった

「藁は小屋に入れとるけん、要るだけつかいないよ」


この後、水遣り
顔に掛かる飛沫が、熱く塩っぽく感じられた



念じ続ける

何を念じて来ただろうか


泣き虫なんだから、泣き虫でイイじゃないか
農人になりたい
農人でありたい
それがmisasiの思い願いつづけていることではある





「ようやんなはっとるな」畑になってきたね。続けていってね。)
カワセミの声が聴こえてくる^^













また、魚成の畑で鳴いてくれ^^

2013/04/24

城川のむかし話「サルバイ」(魚成)

☆友人の実家(城川町魚成)の畑を借りて鍬を振り始めたのが昨年の7月
ご近所の方から「畑になったね」と嬉しい言葉を掛けて貰えるようになった。

何も知らないんだから、教えられることを愚直にやってきたことへのご褒美^^



昨夏には朝の9時に畑に降りて、「何をやるんじゃ?」と呆れられたこともあった
盛夏の9時は午前の畑作業を仕舞う時刻^^;


陽の昇りと共に作業を開始する。
穀雨の今時分は6時起床、7時に畑に立つようにしている。
起床したら歯磨き、洗顔し髭をそって気分を引き締める。

そして県道33号線を西に走り、桜ケ峠(さくらんとう)へ、桜ケ峠トンネルはR441で最初は戸惑ったものだ
峠を下ったところにあるコンビニで新聞を買う。これは四季を問わず変わりない。

畑のある魚成の川向地区は魚成の西で、泊作業に使わせてもらってる家あたりが魚成の西端と言ってよい。
家並みが途切れ、田穂(たお)地区に入り桜ケ峠トンネルへと続く。
田穂が城川町の西端である。

くどくど纏まらないけど
魚成(川向)-田穂ー野村は極めて近い位置関係にあることを説明したいだけ^^;なんですが、もう少し下手な説明を

城川町を南北に走るR197を魚成橋を西へ走るのが県道35号線。
地図を見れば、西から東に向かって流れる魚成川沿いを走り、川向からは田穂川沿いを走りる形ですが、川にヘバリついたような旧道と違い川を見下ろすことはできません。

魚成郵便局辺りからは、ほぼ直線といった感じになりますが川向から田穂との間は人家が途絶え南北の山が競り合ったような、道が大きくカーブするところがあります。


手前がmisasi畑のある川向(東)
奥方面(西)が城川町田穂、桜ケ峠、そして野村町へ繋がります。

右手に白い看板のようなものが見えます。
前から気付いていたんですが、駐車スペースがなく遣り過していましたが先日、コンビニの帰路、見通しの良い路肩に車を停めて、その場所まで歩き撮影しました。

サルバイ(伝説の地)

昔、むかし田穂の領地をめぐって
魚成の神様と野村の神様が
境界争いをされました
両方(の)神様は各々の社を出発し
出合った所を境界(に)す(る)と
約束さ(れ)ました ある朝一番鶏を
合図(に)魚成の神様(?)牛に乗り 野村の
神様(?)猿に乗(り)出発されました
猿の方が足が速く野村の神様は
とうとうここまで来て、魚成の
神様と出合いました。
この場所を猿が奪ったところから
猿奪い(サルバイ)と地名が
付いたと言ふことです

昭和五十一年十一月
謹書 野村(・・不明・・)



猿が奪ったから猿奪い(サルバイ)とは、地名の由来に頓知話を被せた知恵の面白味を感じます。
語感だけですが、サル、去る、別れ・・そんな裏面を想ったりもしますが


☆城川町教育委員会編『城川のむかし話』(以下「本」)に、「サルバイの話」(魚成)として掲載されています。

「昔、野村地区の氏神様である三島様と、魚成地区の氏神様である一宮様とが領地の争いをしたことがありました。
田穂という部落は、ちょうど野村と魚成の間にあったので、両方の神様とも、この田穂の土地は自分の領分であるといいはって一歩もあとにひかなかったということです。(p134)

三島さんが猿に乗り、一宮様が牛に乗り進んだところ、この地点で出合ったことは看板にあるとおりですが、仲介をしたのは出雲の神様だそうです^^

さて、この争いの結末ですが、「本」によれば
「野村の三島様は、得意になって、「約束どおり、わたしが勝ったのだから、この田穂の土地は、わたしの領分とさせてもらいます。そして、あなたは、牛でおいでになって負けられたのだから、これから、毎年野村地区のお祭りには、この田穂の部落から、牛をお供に出させてください。」ということになりました。(p137)

「いまでも、三島様のお祭りには、田穂から牛鬼をだすことになっていて、そのしきたりがずっと続いています。
田穂の人びとは、お祭りのお祝いは、魚成の一宮様のときにして、ごちそうを食べたりお客をよんだりしますが、牛鬼をだすことはありません。つまり、牛鬼をだすのは、三島様のお祭りのときだけということです。(p138)


===大文字は引用者===


☆☆魚成の氏神様である一宮様(いっくうさま)の秋祭りは11月3日


昨年は、祭りの朝、神輿、四つ太鼓の準備に加えてもらいました。
前日の2日には鹿踊りの準備の様子を見学させていただきました。
南予地方の秋祭りには鹿踊りが奉納されますが、魚成は五つ鹿、男河内地区に伝承されています。
感激、興奮が鮮やかに蘇ってきます。

牛鬼(うしょうに)も南予の祭りに欠かせない。
お旅所での神幸式(みゆき・-)では親子の牛鬼が門構えして地区の人を迎え、式が終れば地区内を巡行する。
どこの地区が担当されているんだろう・・
巡行のあとを少し歩いたが、担ぎ手は各地区の若手の方のようだった
神幸式の一部ですが



☆☆ことしの秋祭りには、魚成の牛鬼について歩いてみたい

サルバイを越えて田穂の地区も巡行するんだろうか・


サルバイの看板の道路向かい側(南)

サルが上手に操り渡って来たカズラかな?藤の花が咲いている




桜ケ峠から田穂川が田穂の土地を潤し、そして川向へ、そこで魚成川に合流する

今日も流れる



歩こう

======





より大きな地図で






2012/11/08

☆misasiしいがん考(思)☆ ((魚成)史跡【しいがん】)

しいがん
城川町魚成の一宮神社の東、矩形に整備された田んぼの一画に三体並んでいます




城川町魚成に畑を借りて4ケ月。月に4,5日のペースで畑に入るが午前6時から夕方の6時ころまで畑に居るので周辺に足を伸ばすのは稀です。
諸般の事情で車の使用に制限があるのも要因ではありますが^^;

今回の魚成入りは何時もと違う。
1日に入って2日、3日二泊連泊も初めて
そして今回は2日、男河内の鹿の見学。3日、一宮神社秋祭り見学が大きな目的で、畑作業は草取り追肥。前回に土を起こしたところに水仙の球根植えの軽めの予定。

2日の鹿踊りの準備は夕刻から、それまでの時間はタップリ、午前は草取りと追肥、、あ、水遣り^^

昼食を摂って、午後からは一宮神社に参拝、周辺を歩きました。

一宮神社は魚成川の西岸に小高い山腹にあって、東岸に拡がる田畑を見渡しているようにみえます。


矩形の田が奥伊予の地に似合わないと言ったら失礼千万ですが
初めて魚成を訪ねたときの意外感の印象があったのは確かなんです^^;

初めて矩形の田の中の道を歩くことにしました。

一般道(県道33号には竜沢寺への標識あり)から農道に入ると左手に茶畑風なコンモリトした一画があります。




意外な感のあった矩形の水田は、昭和51年度~53年度に亘って事業費5千万円、総面積7.5haの大工事だったようです。
お!委員長は 農人misasiの大先生!^^

視線が留まったのは ”史跡しいがん” と刻まれた石柱

裏面に由来、設置日等はありません。
どころか裏面は石材の切り出しのためと思える穴状の溝が並んでいて、廃材の利用なのかなとも・




お茶の木の生け垣の中に見える石積みが「しいがん」




土台に埋め込まれた塩ビパイプにシキビが飾られて・
熟れた烏瓜がお供えされています・


これは ”お墓” です・

し・い・が・ん 呟いてみたら 死に顔? 死、顔の文字が浮かびました

そして

水子の供養? 間引きの供養? そんな思いも浮かびました

三体並んだ 石に幼児の貌が浮かんで見えたんです

北側の一体 微笑んでる?

真ん中の一体 怒っているようにも・・ (大)

南側の一体 幼い・なんの疑いももってない表情にみえる (二体より明らかに小
西に向かって並ぶ三体の「しにがん」を取り囲むお茶の木は剪定され、その外周はきれいに刈り込みがされてます。




朝の靄り(朝霧)の深い城川のお茶は美味しいです。☆「収穫のために手塩にかけて育てる茶畑には花は禁物・」なのだそうですが(http://www.meisetudo.com/chanohana.html)、「しいがん」を取り囲むお茶の木には花が咲いて実がついてました。(撮影:'12.11.02)




==
三体の「しいがん」の前に額ずいて祈り
新しい神幸(お旅)の道を「お旅所」の会場まで歩きました。



===
畑に戻ると農人misasiの大先生、川向水田整備の委員長だった和さん(78才)と出会ったので
史跡しにがんのことを訊ねてみました。

「・あ、あれか・・
小さいころ、リュウガモリ城の兵士のお墓じゃと聞いたことがあるがの・」


リュウガモリジョウは初めて耳にしましたが、かって土佐の覇王長宗我部氏が伊予の地へ攻め入り攻防があったことことは知っていますが・
生地の鬼北、広見川の沿岸には古戦場の跡が保存されていますし

城川の三滝城址を訪れたこともあります・・

===

初めて「しいがん」を観て直感的に思った、間引き・水子の供養塚のイメージに
幼年少年兵士の姿が重なって来ました

それも、徴用に対して、働き手の大人男手に代わり 差し出された・・そんな姿が浮かんできました



===
ネットを繰って「しいがん」にヒットすることはありませんでしたが

「りゅうが森城」を繰るなかで、こんな記事に出合えました。

魚成中学校昭和31年度卒業生
http://park.geocities.jp/uonasi31/uonasirekisi2 




魚中三一会

魚成の歴史
                           京乃老鶯 



学校での日本史は、年表等の暗記ばかりで、本当に歴史に興味をもって楽しく学んだという思いがありません。ましてやこれまで郷土の歴史にはあまり触れたことがないような
気がします。郷土史を学ぶということは、自分のルーツを探ることでもあり、これによって郷土への愛着を深めることにもなります。私たちの郷土、魚成にも先人が営々と築いてきた歴史があります。それをたどるのは、古い時代の記録が少なく容易ではありませんが、ここでは文献などを参考に平安時代後期から現代に至る魚成の歴史の一端を独断でまとめました。




記事中「りゅうがもりじょう」は竜ケ森城(別名 隆ケ森城)と記されています。
他のものには
隆ケ森城が多かったですが
名刹、竜沢寺の名、建立の経緯を思えば竜ケ森城のほうがイイのかと

☆郷土を思う・・
この記事に出合えたことは「しいがん」のお引き合わせであったのかとの感慨に打たれます。
京乃老鶯さん、ありがとうございます。

===

『城川の むかし話 ー民話・伝説ー 』
(城川町教育委員会編 昭和54年5月15日初版)

27の民話・伝説が纏めれています。

その24話に「首なし馬 (魚成)」

「この話は、今から約四百年前ごろのできごとが語り伝えられたものである。「
・・・
天正十三年(1585年)、土佐の長宗我部元親は、伊予の地を攻めようとして
窪野方面よりおし入り、しだいに兵を進めて、今田・下相の方まで・・
魚成の地にある隆ケ森城(野村と魚成の境)を攻略せんとしていたのである。

この隆ケ森城の落城のときのこと・
魚成家の武士が一人、馬にまたがって竜沢寺を目指すが

川向橋を走り渡った間もなく人馬はたおれた
武士はそのまま起きあがらなかったが
馬は立て髪(ママ)を打ち振り、再び竜沢寺を目指して走りはじめる

その馬には首がない

首のなくなった馬は、約数町も走ったが・・バッタリと倒れる


・・・

この「首なし馬」がたおれたと伝えられるところを、現在も「シイガン」とよんでいて
付近一帯は田んぼになっているが、その田の中ほどに、小石をもりあげた塚がつくられていて、だれもこの塚を掘りくずしたりしよとするものはいない。

いまでも、だれが供えるのか、ときどき線香の煙がたちのぼっているのをみかえることがある。」


☆misasiしいがん考(思)☆

塚が三体あるのは・

やはり幼年・少年兵じゃないんだろうか

村の為、差し出された村の童兵じゃないんだろうかとの思いが捨てられない



走らんといけん・・・
竜沢寺まで走らんといかん・・・

   ・・・血糊の首が三つ・・・



むしろ、その想いが大きく強くなってくる


☆魚成の秋祭りの前日、「しいがん」に出逢えた


こんど魚成畑に行った時には

村の兵士に敬礼

線香をお供えしたいと思う (misasi)