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2014/11/20

白面の鹿 (城川町下相の鹿踊り)

11月2日、城川町下相(おりあい)八幡神社の宵宮で。

宮司さんの祝詞で宵宮が始まりましたが
鹿頭の向きが気になりました。神殿の方を向いていなくて参列側に向き合っています。
そして六頭の鹿の面は白色です。瞬間、ジャングル大帝レオが連想されたり(笑)鹿で有名な奈良では白い鹿は「神様のお使い」と言われていることを思い浮かべたり


やはり、白面の鹿は神様の側にあるんでしょうね。一段高いところから参列者と向かい合ってます。
とすれば、「鹿踊り」には、神前に奉納する芸能と言うことの他に何かあるように思えます。
まさに「神のお使い」として「神幸(みゆき)の舞」と言うような…。

雌鹿の面

牡鹿の面



以下は、10月27日 【城川歴史民俗資料館】で撮影。


現存する最古の鹿面



「下相八幡神社奉納の六つ鹿踊の面である。
この鹿面六個のうち、一号面の裏面に「嘉永四年亥八月吉日、裏町
一丁目、森田屋磯右衛門源吉昌花押」の銘がある。同人の作になる
古面は広見町清水に嘉永六年癸丑八月吉日作と、宇和島本町追手に
安政四年丁己六月吉日作が現存しているが、下相八幡神社の鹿面が
南予最古のものであるということができる。よく原形が保たれている
貴重な鹿面である。」(説明文ママ)
注)嘉永四年〈1851年〉
   嘉永六年〈1853年〉
   安政四年〈1857年〉

牝鹿


牡鹿



古面の保存状態の素晴らしさは、それだけ大切に守られてきたことを示すものだが、
その面相が瓜ふたつに現在の面に伝えられていることが感動的だった。

いまの私に、説明文にある広見町(現、鬼北町)清水、宇和島本町追手の古面と現在の面とを比較対照する手立てはないけれど、下相の鹿面同様の伝承保存があることを祈りたい



「鹿(子)踊」は南予各地に伝承保存されている。
その底流にあるものは、ヒトとヒト以外の生き物との共感、共生への祈り(自然の中に生かさせてもらってるヒトの祈りではありますが)みたいな…それこそ言葉(論理)では語り尽くせない想いの込められたものだと思います。
父祖の地への想い
今、母なる大地への熱い想いが「しかのこ」の踊に込められ脈々と流れ続けていると思います。

確かに鹿踊は伊達氏の宇和島入部によってもたらされたものでしょうが、それは「しかのこ」の種蒔きであって、各地各様の様式の「しかのこ」と生ったのは「自然を畏怖する純粋な心」が「しかのこ」を育み続けた成果だからだと思います。


そして、そんな側面にこそ注目着眼して「鹿(子)踊」を見つめ向き合っていきたいと思います。


(memo:「鹿(子)」と書いたのは、初めてシカオドリを知った時(小3の時、宇和島でですが)「しかのこ」と呼ぶのが一般的だったように記憶しているからです。そして、南予の鹿踊は伊達氏の宇和島入部によって東北から移入されたもので、東北では「シシ踊」と呼ばれる。鹿子は「シシ」とも読める…妄想も含めています^^; が、各地に伝承保存されている鹿踊の呼称にも興味が湧きます。)


2014/11/07

男河内の鹿踊り(五つ鹿) ”笹”を飾る五行色

男河内(おんがわち)に伝承保存されている「鹿踊り(五つ鹿)」が、11月3日の魚成一宮神社(地元の方は、「いっくうさま」「いっく神社」と呼ばれます。)例祭に奉納されます。

「お旅所」での「神幸式」で (‘14.11.3)



五色の短冊を飾った”笹” (伝承保存されている方に「たんに”ささ”って呼んでます。って教えてもらったので、それに倣って単に”笹”と表記、呼ぶようにしています。)


”笹”を飾る短冊の色を見ると
「緑」「紅」「黄」「淡青(空色)」「紫」の五色ですが、五行色の「間色(かんしき)」にピッタリと一致しています。

二年前になりますが、祭りの前日の準備などを見学させてもらったとき「(この笹は)「山」を現しているんです。」と教えてもらいました。
  ( 「一宮神社の秋祭り① 【男河内の鹿】(2日の準備を見学させてもらって)
四季折々の山のイメージなんだな、と感心したものでしたが、五行色との一致を認めると、脈々と流れ伝わる信仰生活のなかの伝統芸能なんだなと感慨が深くなります。

     五行色の短冊は、「男河内の鹿踊り」の貴重な特徴点と評価して良いと考えます。          




鹿踊りが伊達氏の宇和島入部に伴って移入されたことは間違いないことでしょうが、旧藩版図に50有余伝承保存されている鹿踊りを見るとき(実際を観たのは数所しかありませんが)、その土地土地の自然、精神風土が色濃く影響しているであろうことに留意したいと思います。

それと、妄想的ですが
各地に播かれた鹿踊りの種は、かなりな種類があったように思います。宇和島藩入部に供なった人数は二千人とも、その人たちのなかには各地に配された人々も多数あったことでしょうし、その人たちが遠く離れた故郷、父祖の地を想い、鹿踊りの種を播いたんじゃないかなと思うんです。

講演会で教えてもらったことですが、鹿踊りが文書に初めて記された年と、入部の年の間には可なりな開きがあるそうです。このことは、前述した種蒔きによる自然発生的な鹿踊りが各地に発芽、生長していったことの裏付けの一つと捉えてイイようにも思うんです。

参照
 五行とは、中国古来からの思想で儒教を中心とする思想家の間で発展したものです。のちに陰陽思想と結びついて陰陽五行思想となって日本に伝来し、日本では陰陽道として展開していきました。
 五行では、木・火・土・金・水の五要素が世界のあらゆるものを構成する基礎となるという考えに基づいた思想です。その五要素には、青・赤・黄・白・黒という色が配当されます。この五色(ごしき)を「正色(せいしき)」といいます。「間色(かんしき)」と呼ばれる色のグループもあり、「緑」「紅」「黄」「縹(はなだ)」「紫(紫は、古来、黒と赤を混ぜた色のことをいった)」と配当されます。 
 【五行と色】より抜粋 (太字は引用者)

※縹(はなだ)もしくは縹色(花田色、はなだいろ)とは、明度が高い薄青色のこと。
===








CF
城川町窪野「八つ鹿」にも短冊飾りがありますが、牝鹿二頭のみ纏い、牡鹿六頭は飾らない。
はっきりと識別したんじゃないですが、五行色以上に、他色が混じっているように見えます。




2014/10/28

「猿田 彦」あるいは「ダイバン」 〈1〉

Ⅰ猿田彦(サルタヒコ)

=参考=
『(猿田彦は、)天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり道祖神と同一視された。…祭礼の神輿渡御の際、天狗面を被った猿田彦役の者が先導することがある。』
Wikiより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%92%E3%82%B3
--------------------------------------------------------------------------


①神幸(みゆき)(お旅)を行く(城川町魚成一宮神社)の猿田彦命

2012.11.03


猿田彦は魚成一宮神社(地元の方は、「いっくう様」「いっく神社」と呼ぶ。以下、「いっくう様」と表記する時は、魚成の一宮神社を示すこととします。)


神旗

天狗の面を被る「猿田彦命」役


神輿に大国主命が。天狗面を被り太刀を差した役者に猿田彦命が。

まさに天狗の面である。

②神輿渡御を先導する(野村町渓筋 三島神社)の猿田彦

'14.10.27(日)撮影
以下、タニスジの三島神社、タニスジの猿田彦と記す。




拝殿への昇降段の横に「渡御順序」が貼り出されていて、一、猿田彦とある。


従って、間違いなく、これは猿田彦であるんだろうけど、神社境内に参集されてる方とお話しすると、「これは、ダイバン」と言われて、「猿田彦神」の認識がない(薄い?)ように感じられたが、後記③で。


三島神社(野村町渓筋)の猿田彦



③「タニスジの猿田彦」は、どうして「ダイバン」と呼ばれるのだろう?


外見ほか、「タニスジの猿田彦」と「いっくう様の猿田彦」を比較してみると


 1)「タニスジの猿田彦」の鼻も大きいが、天狗のイメージには遠い。対して、「いっくう様の猿田彦命」は正に天狗の面相である。

 2)「いっくう様の猿田彦命」が太刀を腰に差しているのに対して、「タニスジの猿田彦」は太刀を差していない。

 3)御霊遷し神事 「いっくう様の猿田彦命の役者が神輿と共に拝殿に昇り御霊が移されるのに対して、「タニスジの猿田彦」役者は拝殿での神事には参加しない。

 4)「いっくう様の猿田彦命」は、いっくう様に祀られる神。「猿田彦神」の神旗あり。
「タニスジの三島神社」は「三島神社旗」が渡御。


取り敢えずの結論(めいたもの)として、「タニスジの猿田彦」は「タニスジの三島神社」の祭神様の渡御、お旅の先導役としてのみ参加しており、神としてのイメージが生活のなかで希薄となったものとしておこう。

一方、他面にあっては、「ダイバン」なるイメージが楽しく愉快なモノとして生活のなかに色濃くあることを示しているとも言える。



さすれば、「ダイバン」とは?

ポスターでしか見たことがないのですが、奥伊予の奇祭として人気を呼んでいる(城川町土居)の「どろんこ祭り」に「ダイバン」が登場します。
写真で見たその面相は天狗そのもので、一見して猿田彦命を思い浮かべました。(と言うより、そのモノと。)
そして、神様も人の心のなかに生きるものなんだから、イケズをすることもあろうけど(笑)
悪戯の度が過ぎて泥田のなかに放り込むとは!と、怒りに似た感想をもったのも事実です。

今年も訪うことが出来なかった(あるいは、しなかった。)んですが


=参考=

「愛媛の祭り5 伊予市永木の鬼(ダイバン)」

愛媛県歴史文化博物館 学芸員ブログ「研究室から」
http://www.i-rekihaku.jp/gakublo/shiryou-chousa/196

『※中予地方 伊予市(旧中山町永木)
旧中山町永木地区の秋祭りで出る鬼です。地元で「ダイバン」と呼ばれていますが、中予・南予地方では、鬼のことを「ダイバン」・「ダイバ」と呼んで、怖がられながらも、親しまれています。
松山をはじめ、中予地方には、おそろしい鬼の仮面をかぶった「ダイバ」とよばれる「鬼」が出るお祭りが多くあります。また、「お神楽(かぐら)」という仮面芸能でも、鬼のことを「ダイバ」とか「ダイバン」とよんでいます。これは、愛媛県周辺での独特のよび方のようです。
ダイバという呼び方は、仏教で釈迦(しゃか)の修行を邪魔する悪役「提婆達多(だいばだった)」に由来するものと思われます。鬼も神の邪魔をする役だからです。』
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怖がられながら、親しまれているダイバン(鬼)
魅力的ですね(^^)

追っ掛けてみたいと思います。ユルリンですが^^;

=======10月31日


④どろんこ祭の「ダイバン」

Myルートガイド どろんこ祭保存館

 初代三嶋神社「大番」の面。「大番」とは、観客の笑いを誘うどろんこ祭りの主役。


せいよ観光物産サイト

五穀豊穣、無病息災を祈るお祭り

「どろんこ祭り」は、 田植えが終わった喜びを神に感謝し、五穀豊穣、無病息災を祈る、素朴でユーモラスな田休み行事です。この城川どろんこ祭り保存館は、「どろんこ祭り」の歴史をひも解き、学んでいただけます。


※10月〜3月休館

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鉤鼻ではあるが、天狗面の鼻の印象が強い。

牙を除けたら、魚成いっく様の猿田彦の面に類似を感じる。



ダイバンは鬼であるから、この牙は大切であるが(笑)












2014/04/21

窪野の八つ鹿

愛媛県 窪野八つ鹿踊り  (西予市城川町窪野  窪野八つ鹿保存会)


【解説】
 愛媛県西予市城川町窪野に伝わる八つ鹿踊りは、窪野地区で代々伝承し、三瀧神社(引用者注①)の春祭りに住民の幸せを祈って神前に奉納されてきました。

 踊り手は、先音頭一名、庭入(引用者注②)一名、雌鹿一名、子鹿四名、後音頭一名で構成され、ほかに笛一名がつきます。演者はすべて成年男子です。
 全員が締太鼓を胸に吊り、鹿笛に合わせて太鼓を打ち振りながら円陣となって踊ります。一頭の雌鹿をめぐって、二頭の雄鹿が相争うというストーリーで踊りは展開されます。

鹿唄は
「廻れ廻れ水車 遅く廻りてせきとまあれな せきとまあれな」という歌詞に始まり、
「国からもお急ぎ戻れと文がきた  おいとま申して いざ帰ろうや いざ帰ろうや」という歌詞で終わります。

 昭和四十三年には愛媛県の無形文化財に指定(昭和五十二年に県の無形民俗文化財に指定替え)され、昭和四十九年には国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されております。

===
注①  三滝と表記されるのが一般的のようです。
注②  庭入について
        参考 > 「庭入りと寄せり」

===

宇和島城下のものと思っていた「八つ鹿」が辺境(宇和島から見てと言う意味)の城川町窪野に伝承されていることを仄聞し訪れたのが三年前、東日本大震災、福島第一原発事故の三ヶ月後のこともあったせいか、「父祖の地」への迸る想いを感じたものであったが…

「廻れ廻れ水車 遅く廻りてせきとまあれな せきとまあれな」に始まり、
「国からもお急ぎ戻れと文がきた  おいとま申して いざ帰ろうや いざ帰ろうや」で終わる歌詞に出会うことができ
繰り返し読み、読み返し、目頭が熱くなる
===
鹿唄、鹿笛を採音したかったが^^;



===
奉納に先立つ神事中


2013/10/28

【棚田にキャンドルが灯る】 日本棚田百選のひとつ「堂の坂(どうのさこ)棚田」(西予市城川町田穂(たお))に1500基のキャンドルが灯されました。

【棚田にキャンドルが灯る】


日本棚田百選のひとつ「堂の坂(どうのさこ)棚田」(西予市城川町田穂(たお))に1500基のキャンドルが灯されました。



棚田の規模
延長1850m、53枚、1.5ha


「田穂ふるさとを守る会」(4年前に結成。会員10名)が中心に企画し、26,27日に初めて実施したもので全くの手探りだったが、子供たちを始め地区挙げての協力を得て実現できた。こんご地区の行事として定着させていきたい。と、会長さんからお話しを聴かせていただきました。

先日には、四国西予ジオパークが日本ジオパークに認定され、「堂の坂棚田」はジオポイントにも数えられ、近くには日本最古級のアンモナイトの出土があり、また茶堂も並んであります。
(未勉強ですが、「堂の坂」の名は「茶堂」を巡る坂に立地しているところに拠るものと思います。)

これらの(ジオ)ポイントを有機的に結び繋いでいくことが、
思い付きですが、棚田キャンドルライトに併せて茶堂でのお接待、
実盛様送りの話、サルバイの話などの民話伝説を聴いてもらうなど
今後の課題のひとつになるのでしょうが、
その基盤は何と言っても地域の情熱(共生、共感)換言すれば「おらがフルサトはおらが守る」の気概と言ってイイとおもいます。
その意味合いから、「田穂ふるさとを守る会」に出あえたこと、力強く、嬉しかったです。

会長さんにお話しを訊こうとしたとき
「ま、食ってから」
振舞っていただいたオデン
美味しかったです^^

ありがとうございました^^




アルバム【棚田にキャンドルが灯る】

↓写真あるいはタイトルをクリックしてご覧ください

【棚田にキャンドルが灯る】

2013/10/16

「花は葉を想い 葉は花を想う」 彼岸花

急に秋の深まりを肌に感じるようになりました。
彼岸花も花を仕舞って花茎を倒して来ています。

10/15 魚成 田穂川の河岸で




猛暑の夏があっても
10月に入っても真夏日が続いても
野の草花たちは時の移ろいに従い季節を生きています。

中の畑の花壇の草取りをしてたら、
春に葡萄の果実に似た釣鐘型の青紫の小花を房状につけるムスカリが葉を伸ばしています。
雪の中でも春の訪れを知らせてくれる水仙も
夏に地上から姿を隠したワイルドベリーも、茎を朱に輝かせ緑葉を見せてくれてます。

10/15 魚成の畑で



青い葉が育って、花茎が伸びて花が着く
何の疑いもなく、そう思っていたんですが

彼岸花
秋のお彼岸が近付くと、それを知らせるように咲く彼岸花
葉もなく節もない花茎を突然のように地上に突出させてきます。

9/19 石手川の土手で

花茎が伸びて莟が赤くなってます。

地上に顔を出してかなり経っていると思います。


地上に顔を出した時は、まだ青い色をしてますが、地中で莟になったのかな?
丸みを帯びた柔らかい感じすらする姿です。
9/19 石手川の土手で
お彼岸のころに、突然のように葉も節もない花茎を伸ばし花を咲かすからでしょうか
彼岸花には、「死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)など不吉な異名も多くあります(Wikiを参照)」

一方、別名の曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来すし、「天上の花」という意味も持っており(Wiki参照)「天上花」「天涯の花」の異名もあります。

異名の多さは、それだけ多くの想いが彼岸花に寄せられていることの顕れとイイと思うのですが・

ところで、
花を枯らして花茎を倒した姿になった彼岸花の周囲に、美しい緑葉が伸びていますが
これは彼岸花の葉っぱだそうです。65にして初めて知りました^^;

10/15 深いミドリと柔らかいミドリをスッと伸ばし初めた彼岸花
花を枯らしたあと、グングンと葉を伸ばし冬を越し,
5月には葉を枯らし地上から姿を隠し
秋のお彼岸のころに突然のように莟を地上に現す

「花と葉が同時に出ることはない」という特徴から、日本では「葉見ず花見ず」とも言われる(Wiki)そうですが

隣国の韓国では、
花と葉を同時に見ることはできない。  葉のあるときには花はなく、  花のときには葉がない。  このことから 「サンチョ(相思華)」と呼ぶそうです(季節の花300 より)



同時に同じところに居なくても、

いや居れないからこそ
より強く固く想い合う

花は葉を想い 葉は花を想う


魚成シャエンバの「misasi堤」に、彼岸花の芋を移植して育てよう

2013/10/02

農人日誌 9月 「ようやんなはっとるな」

9月は
17日から21日まで
そして、25日から月末30日まで
ま、その間に21日は四国西予市ジオガイド講習、28日には雨包山自然観察会に参加もしたりしながらだけど^^;


畑作業の目標の第一は荒れてしまった畑を畑にもどすこと
畑に一ヶ月以上もくることができなくて、今年の前半を掛けた下の畑の開墾は、胸の高さにまで伸びた雑草の中に消し去られてしまっていたから


最初は、どこから手を付けてよいのか、それが判らない
上と中の畑に絞って、下の畑の耕作は放棄しようかとさえ思ったりもしたのも事実ですが

9/26
中の畑

下の畑


眼前の障害に目をつぶって何が農人
雑草が障害なら、雑草を取ればイイ
草を取って、土を起こして、それを繰り返したらイイんだ
イイと思うことをやればイイ


(褒めてやってもエエじゃろか^^)

甘い自己評価だけど^^;
そんなことを思えた30日のお昼過ぎ、

田穂川を挟んで畑の真向かいの宿舎側の川縁にカワセミの姿が
エメラルドブルーが耀いた

カメラを取りに行ってくる間、おなじ場所で

川面を見つめ

空を見上げ

待っといてくれたんやろか^^

数枚シャッターを押したとき、川面にエメラルドブルーを耀かせ葦の茂みのなかへ

飛翔の姿はとらえることができなかったが・

(そう、あの時もだ。)
そう、二度目のカワセミとの出会いです

ブログを繰ったら、今年の6/9のこと 「水面にエメラルドブルーが!かわせみ!?」

最後に、こんなことを書いてます。

カワセミ

奥伊予の畑に立ってもうすぐ満一年

初めて出合ったカワセミ


カメラを提げて出歩くようになって5年・

教えていただいたカワセミのスポットを訪ねたことも数多いが

初めてカメラにおさめることができたカワセミ

(畑になったね)

そう語りかけてくれたように思えた

(ありがとう
鍬を振り続けていくよ)

そう呟いたとき、水面にエメラルドブルーが・・

飛翔の景にシャッターを押すことはできなかったけど

鍬を振り続けて行こう

きっとまた逢いに来てくれるだろう

念じ続けよう



念じ続ける・・

何を念じて来ただろうか・・・


昼食を済ませてから
枯れ草に二度目の火をいれた
倉庫で見つけた大きなフォークのような道具で起こし切れてない根っ子をかき集めて燃やした

画像は15時すこし前

このまま天日で乾かしたらイイかなとも思ったが
燃やしガラを放置したままなのは・・
乾燥した日が続いているし風もある
そして今夕には松山へ発つんだから

16時

写真を撮ってたら、

「ようやんなはっとるな」

マサルさんの声だった

「藁は小屋に入れとるけん、要るだけつかいないよ」


この後、水遣り
顔に掛かる飛沫が、熱く塩っぽく感じられた



念じ続ける

何を念じて来ただろうか


泣き虫なんだから、泣き虫でイイじゃないか
農人になりたい
農人でありたい
それがmisasiの思い願いつづけていることではある





(「ようやんなはっとるな」畑になってきたね。続けていってね。)
カワセミの声が聴こえてくる^^













また、魚成の畑で鳴いてくれ^^

2013/06/28

いろは歌・・・諸行無常・・虫送り(実盛さま)

今朝(6/28)の愛媛新聞に


いろは歌
七五調の「色は匂えど散りぬるを」から始まる歌。
音の異なる47文字から成り、同一の文字の重複がないように作られた。
手習い歌のほか、順序を示すのにも使われた。
10世紀末から11世紀中ごろに成立した・・(以下、略)(上掲載、写真の解説文を写す)






いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

仮名交じりにすれば

色は匂へど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず

解釈はいろいろあろうけど




文中の「有為」は仏教用語で、因縁によって起きる一切の事物。
転じて有為の奥山とは、無常の現世を、どこまでも続く深山に喩えたものである。
中世から現代にいたるまで各種の解釈がなされてきたが、
多くは「匂いたつような色の花も散ってしまう。この世で誰が不変でいられよう。
いま現世を超越し、はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい」などと、仏教的な無常を歌った歌と解釈してきた。
12世紀の僧侶で新義真言宗の祖である覚鑁は『密厳諸秘釈』(みつごんしょひしゃく)の中でいろは歌の注釈を記し、
いろは歌は『涅槃経』の中の無常偈(むじょうげ)
「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」(諸行は無常であってこれは生滅の法である。
この生と滅とを超えたところに、真の大楽がある)の意訳であると説明した。
Wiki「いろは歌」より


平家の栄華と没落を描いた『平家物語』
祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。
沙羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。
猛き者もつひには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ

入試前に、ここまで暗唱したが^^;
『平家物語』が鎌倉時代の作とされることを重ね合わすと、単なる文字遊びではなく、世の諸行無常なるを幼子にも教え伝える響き、韻を感じたりするが

この「いろは歌」・・現代の小学校の教科書に採りあげてあるんだろうか?
そうじゃないなら、英語授業の前に採用してもらいたい・

さて
6/30は「田穂の虫送り」(西予市城川町)

虫送り(むしおくり)とは日本の伝統行事のひとつ。農作物の害虫を駆逐し、その年の豊作を祈願する目的で行われる。
春から夏にかけての頃(おもに初夏)、夜間たいまつをたいて行う。また、藁人形をつくって悪霊にかたどり、害虫をくくりつけて、鉦や太鼓をたたきながら行列して村境にいき、川などに流すことが行われるところもある。地域によっては七夕の行事と関連をもって行われる。
「平家物語」に斎藤実盛が討たれる際、乗っていた馬が稲の切り株につまずいたところを討ち取られたために、実盛が稲を食い荒らす害虫(稲虫)になったとの言い伝えがある。そのため、稲虫(特にウンカ)は実盛虫とも呼ばれ、虫送りのことを実盛送り(または実盛祭)ともいう。(『角川俳句大歳時記』夏)
農薬が普及するまで全国各地で見られたが、現在は火事の危険などから行われなくなったところが多い。
   Wiki「虫送り」より

稲を食い荒らす害虫ウンカ・・実盛虫と呼ばれるそうだが

「こんどの日曜は「虫送り」ですね」と声を掛けたら
「そうじゃ、実盛さまじゃ。実盛さまじゃ。」と古老が
その口調には「お迎えする」って響きを感じた・・

(実盛の非業の最期に涙し、その無念を想う心)が、その顔に、その声色に顕れているように見えた

いまに伝承される平家物語を感じることができるかも
30日は田穂へ行こう


平家物語 · 巻第七. 八実盛最期. (現代語訳)


=====

斉藤別当実盛

越前国、南井郷(なおいごう)の河合則盛の子(幼名:助房)として、生まれる。
13歳の時、長井庄庄司 斉藤実直の養子として、長井庄に居住、名を実盛とする。
祖父の実遠以来、源氏との主従関係を結ぶ。武蔵武士として、数々の戦いで功を挙げた。

●1155年(久寿2年)大蔵館の変・・・鎌倉に住む源氏の棟領義朝と、大蔵館に居住する義賢(義朝の弟)は、武蔵国をめぐって対立。義賢は義朝の息子義平に討ち取られるが、遺児駒王丸を実盛公がかくまい、後に信州の豪族に養育を依頼する。

●1156年(保元元年)保元の乱・・・天皇と上皇の対立に、源氏・平氏・藤原氏等が同族入りみだれての戦。
実盛公は熊谷直実、畠山重能(しげよし)ら坂東武士と、源義朝に従い出陣。悪七別当を討ち、ずば抜けた手柄をたてる。

●1159年(平治元年)平治の乱・・・実盛公はじめ、坂東武士17騎でめざましい手柄をたてたが、平清盛の策略に破れ、長井庄に帰る。
 ×源氏 VS ○平氏

これらの戦いによって長井庄は平清盛の二男、宗盛の領地となる。長井庄における、これまでの功績を認められた実盛公は、平宗盛の家人となり、別当として長井庄の管理を引き続き任じられる。
その後の実盛公は、農民の住み良い土地を作る為、庄内の開拓、治水、土地改良に努め、農作物の出来具合の面倒を見る事などから、農民から大きな信頼を得るようになる。

厚い信仰心を持つ実盛公は、庄内の平和と戦死した武士の供養、領内の繁栄を願って1179年、長井庄の総鎮守として聖天宮を建立。

●1179年(治承3年)冨士川の戦い

1180年、源頼朝が挙兵し、再び源平による戦乱の時代となる。実盛公は平宗盛の恩に報いるため、平氏として戦うことを決意。敵となった源氏方の、かつて命を助けた木曽冠者義仲(駒王丸)と戦うことになる。

http://www.ksky.ne.jp/~shouden/sane/sa-main.html より


6/30 実盛送り
西予市城川町


2013/06/12

トウファ・・何?^^;

午前の座学のあと、フィールドへ。

岩上田(がんじょうでん)
地質館
三滝渓谷を歩き、三滝神社

そして「トゥファ」へ

沢への入り口に立てられている標識



■中津川のトウファ

 「トゥファ」の語源はラテン語で「小さな穴があいている白い石」という意味から名づけられており、石灰分をたくさん含んだ水から、急速に炭酸カルシュウムが沈殿してできた岩石で、堆積には微生物の活動が関わっているといわれている。
 通称「唐岩」と呼ばれる山頂に分布するジュラ紀の石灰岩層を通過し、石灰分を多く含んだ地下水は、山の中腹から地表に出てきて大気にふれると、二酸化炭素が抜け出てくる。
そうすると地下水の炭酸刈るカルシウムは水にとけていることができず沈殿する。このようにしてトゥファが堆積する。
 水の流れが滞りやすいところでは、二酸化炭素が抜けやすくなる。
山間の沢では段差のあるところにトゥファはできやすく、トゥファのすぐ下は、小さな滝のようになる。
 トゥファの表面には、フィラメント状のシアノバクテリアが生息しており、季節変化などもトゥファの形成に関係しているということがわかっている。

(座学資料)(アンダーラインは山本)



現地に向かう車中、資料を読んだが・・わかんない^^;


☆山間の沢では段差のあるところにトゥファはできやすく、トゥファのすぐ下は、小さな滝のようになる






現地に立つ
自らの目で見、触れてみることは大切である!と一人合点の納得^^



岩肌を見てると鍾乳石の誕生に立ち会ってる錯覚があったが、
形成のスピードなどまったく違う(トゥファの形成スピードは圧倒的に速い。現存できる時間は短い T課長)とのこと。





☆地下水は、山の中腹から地表に出てきて

湧水点に立ってみたくて少し上ってみましたが、小さな滝つぼに挿された何本ものホース
田畑の農業用水であり、飲料にも用いられているとか・・
(ずっと流れつづけて)

上流

Uターンしました

下流
この石灰分を多く含んだ水が湧出し流れ続けてたら
トゥファも形成されつづける

いつかまた
トゥファに合いにくることができる