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2014/04/21

窪野の八つ鹿

愛媛県 窪野八つ鹿踊り  (西予市城川町窪野  窪野八つ鹿保存会)


【解説】
 愛媛県西予市城川町窪野に伝わる八つ鹿踊りは、窪野地区で代々伝承し、三瀧神社(引用者注①)の春祭りに住民の幸せを祈って神前に奉納されてきました。

 踊り手は、先音頭一名、庭入(引用者注②)一名、雌鹿一名、子鹿四名、後音頭一名で構成され、ほかに笛一名がつきます。演者はすべて成年男子です。
 全員が締太鼓を胸に吊り、鹿笛に合わせて太鼓を打ち振りながら円陣となって踊ります。一頭の雌鹿をめぐって、二頭の雄鹿が相争うというストーリーで踊りは展開されます。

鹿唄
「廻れ廻れ水車 遅く廻りてせきとまあれな せきとまあれな」という歌詞に始まり、
「国からもお急ぎ戻れと文がきた  おいとま申して いざ帰ろうや いざ帰ろうや」という歌詞で終わります。

 昭和四十三年には愛媛県の無形文化財に指定(昭和五十二年に県の無形民俗文化財に指定替え)され、昭和四十九年には国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されております。

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注①  三滝と表記されるのが一般的のようです。
注②  庭入について
        参考 > 「庭入りと寄せり」

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宇和島城下のものと思っていた「八つ鹿」が辺境(宇和島から見てと言う意味)の城川町窪野に伝承されていることを仄聞し訪れたのが三年前、東日本大震災、福島第一原発事故の三ヶ月後のこともあったせいか、「父祖の地」への迸る想いを感じたものであったが…

「廻れ廻れ水車 遅く廻りてせきとまあれな せきとまあれな」に始まり、
「国からもお急ぎ戻れと文がきた  おいとま申して いざ帰ろうや いざ帰ろうや」で終わる歌詞に出会うことができ
繰り返し読み、読み返し、目頭が熱くなる
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鹿唄、鹿笛を採音したかったが^^;



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奉納に先立つ神事中


2014/04/10

岩屋寺へ。 シンニョウの鳥ヘンロ

4月5日、愛媛県歴史文化博物館主催の「体験へんろウォーク」に参加しました。


第45番札所岩屋寺を訪れるのは初めて… と言うより、
「おへんろ」を意識して札所を訪ねるのも初めてです。

四国霊場開創1200年、県歴博の展示を観たり、関連講座を受講させてもらって
同行二人、お大師さん信仰って… 「おへんろ」って
少しでも体感実感できることが出来たらいいな
そんな気持ちでの参加です。


上の画像(参加資料)にある通り全長約5kmの行程
スタート地点からゴール地点までスマホで撮った写真を並べてみます。






スタート地点の国民宿舎「古岩屋荘」
参加者 30名。スタッフ4名。


先ず目に付いたのは、幽玄な趣きのある山の姿

案内の方のお話では「朝方の気温は氷点下3℃」だったとのこと
桜はまだ堅い莟です。

杖立堂
県道12号線の道端



「つえたけ」さんと愛称されているようです。



礫岩峰(古岩屋の奇岩)



古岩屋に到着したころから降り始めた雨粒が少し大きくなったように感じられましたが、用意していただいていた合羽などを纏って出発


面河川に注ぐ流れを遡上するかたちで登ります。急な坂道ではありません。
余裕をもってアセビの花にカメラを向けることも出来ました。
歩を進めて行くにしたがいその余裕はなくなって行ったのですが(笑)


アセビの花


こんな標識も立ててあります。紅葉谷とされている方がスタート地点(古岩屋荘)側ですが、紅葉の散策路としても楽しまれるのでしょうか

すこし先に進むと右手に礫岩の肌が眼前に拡がって来ました。

大師(「奥の院」と呼ばれるところでしょうか?)

左手は雑木林で、ヤブツが咲いていました。

前方を見ると古いお堂が

不動明王

お堂の銘は読めません^^;






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ふげんぼさつ
行者さんが据えられたのでしょうか
和歌は読み解けませんが
ひらがなの文字に目頭が熱くなりました




子規の句碑

「夏の日能ひえてし多ゝる岩間可奈」
なつのひのひえてしたたるいわまかな

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ウラジロガシ
 アラカシよりも耐寒性があると
 ヤブツ(藪椿)


雑木林の路を進みます。

ミツマタも咲いてます


道端に・・
ホタルブクロに似てるけど・・

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八丁坂

雑木林の道幅が急に広くなったところが八丁坂の入り口でした。

案内板を見ると、車道も通っています・・意外と言うか・・

さておき!(笑)


ご案内の方より、「2800mとあるのは、スタート地点よりの距離で八丁坂は約1km その間の標高差が200mある急峻な坂道」との説明をしてもらいました。

「ちょう」(町・丁)は距離の単位
条里制では,一町は六尺を一歩とする六〇歩であったが,太閤検地の際六尺三寸を一間とする六〇間となり,その後六尺を一間とする六〇間となった。メートル条約加入後,1891年(明治24)1.2キロメートルを一一町と定め,一町は約109.09メートルとなった。
http://kotobank.jp/word/%E7%94%BA%E3%83%BB%E4%B8%81 より

急峻な坂道



列が長く長くなりました
わたしは・・シンガリを歩きました^^;

八丁坂の茶屋跡


延亨5年(1748年)に建てられた
「遍照金剛」と彫られた大石碑

260余年の時が経っているんですから、刻字は薄くなってきていますが、手を添えると熱い想いが掌へ沁み入って来ました。
かなりの巨石です。

暫く尾根路を進みます。
道幅は人一人が歩けるものです。

ヤブツに癒されました




 ヤマツツジの新芽

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道標

尾根路に入って、道標をたくさん見ることができました。


これは刻字を認めることが出来ませんでした

従是岩屋迄十一町
(これより岩屋まで十一町)

前に参照した、一町は約109.09メートルを当てればあと1100mですが
いま思い出してみても、往時のまま据えられていることが想像できます。

尾根路が終ると、急な下り坂になって大きな杉木立の中を行きます。




「←44番大宝寺へんろ道」が、ここまで歩いて来た方になります。

せりわり(白山)行場
奥の院 不動明王

標識のところから撮った写真

祠には不動明王が祀られています。



ここが、奥の院だそうです(参加者の方より)

礫岩の肌が剥き出しになって、岩の裂け目が見えます。

ここがせりわり(白山)行場の入り口です。






200円の入山料で、扉を開いて貰えるそうです。
扉を開きたいと思います。

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(同寺HPより)

仁王門




大師堂





本堂






休憩所より仰ぎ見る



休憩所の藁ぶきにノジスミレ咲く

山門への路
ヤブツ咲く


落つ椿 咲く


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初めて体験した「へんろ」

「へんろ」の漢字表記は
「邊路(辺路)」から遍く「遍路」へと変遷をしたそうです。
そして、
辺境を行く邊路の「へん」には、「シンニョウの鳥」を当てる表記もあったとのことです。


岩屋寺の所在地名に「山鳥」
そして、山号は「海岸山」
最難所の札所のひとつに挙げられていますが


海を越え、山を越えてのヘンロを行きながら
大空を自由に飛翔する鳥への憧れがあったように思えます。

でも歩くしかない
だから歩く

そんな想いが「シンニョウの鳥」へんろに籠められているように思えてなりません。

古岩屋から岩屋寺まで行程5km。
八丁坂は約1kmの間の高低差が200mある急な上り坂。
しばし続く尾根の道。
「シンニョウの鳥」ヘンロを体感することが出来ました。

「シンニョウの鳥へんろ」を歩き続けてイキたいと思います