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2010/10/24

梅津寺から港山。そして三津浜へ。 ”ぶらりⅢ”

やっと”ぶらりⅢ”。遅筆です。ナマケものか(笑)

【ぶらりⅢ】渡しに乗って、港山(小深里)から三津浜へ。

その前に(笑)
港山に江戸時代の「常夜灯」が遺っていると云うので、
10/20「読み聞かせ」のあと、寄ってみました。
(この日は、読み聞かせデビューの予定でしたが、都合で27日に延期となりました。 関係nai?

10/6”ぶらり”当日に気付かなかったのは
個人宅の敷地に食い込んだ感じに建っていたのです。

金毘羅常夜燈と彫られています。
笠石と灯袋は新しくおかれたもののようです。













渡しの歴史を示す常夜燈と単純に思っていたのですが、
刻まれた文字にあるように金毘羅信仰のもののようです。

備後の常夜燈アルバムから下記を引用させていただきます。

こんぴら信仰と常夜燈

                 金毘羅信仰は 一般には讃岐の金刀比羅宮
                 すなわち金毘羅大権現を尊崇する信仰である。
                 「金毘羅」はもともとインド仏教の神クンビーラに
                 由来し 鰐を意味し 水に関係します。
                  江戸時代になると 金毘羅神に祈願すると 
                 何でも必ずかなえられるという信仰が広がり、
                 広く漁業者や水運関係者の尊崇を集め、また水に
                 かかわることから 農業神としても信仰されました。
                  歌舞伎や浄瑠璃でも盛んに演じられたり、
                 「こんぴら船々」で知られる 金毘羅詣でが盛ん
                 になりました。
                  明治以降は仏教色が排除され「金刀比羅宮」と
                 呼ばれるようになりました。従って 常夜燈の竿に
                 「金刀比羅」と彫られていれば明治以降、「金毘羅」
                 と彫られていれば 江戸時代のものと見分けられる
                 ようです。

                  祠もお社がなくても 常夜燈そのものがこんぴら
                 様をおまつりしたものということになります。

さて、本筋に戻りまして(笑)
三津浜方から港山の渡し乗り場に向かってくれた渡船が着岸です。


以前に乗った船より二回りは大きく新造船です。

それでは船旅を・・
乗客は私一人です。
船頭を三津浜方へ180度、転回。
写真は90度、内港の方向。左手のクレーンは造船所で、かなりな深度がうかがえます。
「小深里」と地名との関係も思ったりしました。

船頭さんにお聞きしたら「この3月におろした新造」とのことでした。
三津浜の岸壁に旧船がつながれています。

三津浜に接岸。所要3分ほどの船旅です。

三津浜の人びとは、この渡しを「洲崎(すさき)の渡し」「三津の渡し」と言い、
港山の人びとは、「古深里(こぶかり)の渡し」「港山の渡し」と言っている。

「渡しの由来」は、こう書き始められています。


渡しの始まりは文明年間(1469)と言われ、の記述に続き1603年(水軍根拠地)、1635年(御船手の設置)、1664年(洲崎魚市の隆盛)~この魚市は現在の「松山市中央卸売市場(水産市場)」に連綿と繋がれています。
港山で見た、小林一茶の渡船(1795年)も記されています。

おどろきは、手漕ぎの時代が長く、エンジン付き渡船は昭和45年~わたしが松山で学生時代をおくっていた当時、二十歳を過ぎたころのこと!

現在正式名称は松山市道高浜2号線の一部(約80米)。
所要3分弱の道ですが、その渡った想い、繋いだ想い・・喜び、悲しみ、泣き、笑い・・ 感慨にうたれるのみ。言葉にならず。

渡る。
渡す。


繋ぐ。
繋がる。

歩き続けます

(ぶらりⅣ)へ続く

2 件のコメント:

  1. 船から見る景色は素敵ですね。
    天気も良かった(^O^)/最高の日でしたね。
    3分弱の道のり...目を閉じて体験しました(^O^)/♪
    次の日記の楽しみ・・・♪

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  2. >ohagicyan

    うれしいコメントです、だんだん(^O^)/♪
    ”目を閉じて・・”~イメジネーション力が大切と思います
    ほんとうに、ありがとう。
    次の日記、がんばりま~す!(笑)

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