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2010/10/28

梅津寺から港山。そして三津浜。”ぶらり4”

古深里(港山)から洲崎(三津浜)へ上陸 で”ぶらり3”を終えました。

”ぶらり4”は「デビラ物語」で行きたいと思ってます。どうなりますか(笑)

きょう(10/27)は、「読み聞かせ」デビューと云うことで、伊予鉄高浜線に乗って梅津寺へ向かいました。
路線の概略は、

松山市駅=(略)=古町===(略)===三津浜=港山=梅津寺=高浜  (9.4営業キロ)
7:23発に乗って、梅津寺には20分ほどで着きます。

前にも書きましたが、この路線は明治21年開業(三津~松山)が始りです。
四国初の鉄道で、日本初の軽便鉄道だそうです。

梅津寺公園に展示されてます。漱石さんも、この列車でお城下(松山市中心のことをこう呼ぶ方はまだ結構おられます)へ下ったのでしょうね。
(「下った」と書いたのは、げんざい高浜から松山市駅が「下り」になっていることに因んだものです・笑)

駅名の変遷をみると
現在の松山市駅は【外側駅】。
車両整備、列車交換の拠点である古町駅は【三津口駅】であったようです。
(参考 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%BA%88%E9%89%84%E9%81%93%E9%AB%98%E6%B5%9C%E7%B7%9A)

ここからだけでも、三津浜の隆盛をうかがい知ることができそうです。
街に入ると白壁の商家が現存しています。

またまた余談が長くなりました(笑)


きょう(10/6)の思い付きは、デビラ街道を歩きたかったのです。

■冬季限定、デビラ街道

渡し乗り場前の道は、通称デビラ街道と呼ばれています。
デビラとは瀬戸内海でとれるカレイの一種で、漁師が釣ってきたものを浜に上げてすぐに開き、4日ほど乾燥させて珍味にします。
瀬戸内海をはさんだ尾道では「デベラ」といわれ、口に縄を通して干しますが、
三津浜流は開いたまんま専用の網の上に広げて天日干しします。

 
デビラ街道が出現するのは、デビラが旬を迎える12月~2月。
いつもはガランと静かな岸壁の通りに、いく枚もの網が並んで活気づきます。
冬の光にきらきらと輝く白く透き通ったデビラの身。
作業するおばちゃんたちの丸い背中もやわらかな日ざしを受けて、ほほえんでいるよう。
確かに風は冷たいけれど、心がほのぼのあたたかくなる。
デビラ街道は、そんな三津浜ならではの冬の風物詩です。
 

三津浜ネットで上記の記事を拝見したのが、この1月10日。
前日に鯛メシ専門 鯛やのニュースをTVで見たこともあって、愛機ペンタくんを携えて訪れたのが最初でした。

 ところが、まさに旬の時季と云うのにデビラ街道に、デビラ一枚、人一人っ子いないのです・・・
                            

写真はデビラ街道とは渡し場を挟んで反対側、内港の奥手の方で撮ったものです。

それにしても、この数は・・・







魚屋かあちゃん 
5人ほどの、かぁちゃんが 手際良く調理されていました。

「あれが、デビラですよね?」と尋ねると、

「あ~、ガド! 包丁で骨割って、炙って 旨いぜ!」
そう応えてくれたのは、もう出来上がっておられる感じの、お父ちゃんでした。

漁師のご主人でしょうか、息はピッたし(笑)

「そいつは今朝あげてきたんよ」
声の向けられた先に、肉厚な太刀魚が銀色に輝いていました!


「まかせて」と、かぁちゃんが。
まことにも、まことにも息が合います。

すこし時間をちょうだい、とのことで初体験したのが「洲崎の渡し」(三津浜からの乗船)です。

また、枝道~(笑)

とまれ、この日(1/10)は「デビラとはなんじゃい?」の課題を残すこととなったです。
(枝道ついでに、タチの刺身、焼きの切り身、4人分以上はありました。)

☆☆10/6の光景にもどります!
   
    (デビラとはなんじゃい?)・・・やはり人通りはありませんww    

写真左手が海で、防波堤の高さは1.5m強でしょうか。
 
 右手には四角い枠付きの網がたくさん積み重ねられてます。









そのとき、声が!
「写真撮りに来たん?」               


漁師のおかみさん然の女性が作業の手を止めず声を掛けてくれました。

他に人は見当たりませんし、現にパシャパシャやってます。(渡し場も近いし、それこそデべラ街道目当ての マニアも多いのでしょうか)





1月のことはおいて、「旬にもなると作業の手も多くなるんですか」などと問うと
やはり、手を休めず
「デべらを干すのも、ウチトコと、かぁちゃんトコだけになった。」   
(かぁちゃんトコが、魚屋かあちゃんを指すことはすぐ理解できました。)

「家は若いのが漁をやってくれとるけん、てつどうとる」

(「てつどうとる。」は「手伝っている。」)













(デべラとは何ぞや)さぁ、いかに切り出そうかとしていたら
まるで見抜いたかのように

「これが」と1枚をつまんで 「これが赤ビラメ。」

         「ビラメは三つおって、赤ビラメ、白ビラメ、そしてガド

(またまたガドが登場したぞ・・。
(かぁちゃんの魚屋では、「それはビラメじゃのうて、ガド」と聞いたが、街道のかぁちゃんは「ビラメのひとつ・・」
「ガドビラメ」ですか?)と尋ねようとしたら、

「3つとも種類は違うんよ。
舌ビラメにならんカレイ・・
あのぶら下げとるのがガド」

(うん、1月に魚屋母かあちゃんで見たガドだ)













「下のハガキに干しとるのが白ビラメ」

(((はがき!???

動揺が可笑しかったのか、街道のかぁちゃんは頬を緩めて立ちあがり海側にわたって

「これが白ビラメ」


ガドや赤ビラメの骨がましさのない、真珠のような輝きがありました。

(それにしても、この金網の枠が「はがき」とは・・ )
由来でも聞こうかなとしたら、かぁちゃんはもう作業に戻っておられました。


「忙しいのに手を止めてまで、ほんとにありがとうございました。また寄せてくださいね。」

「漁があったらやってるよ。」と、街道のかぁちゃん。


はがき・・ もしかしたら防波堤のことを波垣と云うのかも知れないな。
            やはり、干し台の金網かな・・

そんなことを思いながら商店街の方へ向かったんですが、
1月のガド混迷と比べると、まるで異質な新たな楽しみとなったと云う感じでした。

        新たな課題が、新たな歩を踏ませてくれる



共生のコトバ

2軒になったデビラ干し
魚屋かあちゃんでは 「それはデビラじゃなくてガド
街道のかぁちゃんは 「ガドはデビラのひとつ

 背反してしているような2つの言葉が違和感なく受け入れられる
繋げてみると

「それはデビラじゃなくてガドって言うんよ。
   デビラを付けるのは赤と白で、ガドカレイはガトって呼ぶデビラなんよ」

うん、これで納得(笑)。


背反しているようで、しかし対立することはない(無視すると言うのでも、共存すると言うのでもない)・・・・そんなコトバ関係は在って欲しい

     そんなコトバを 阿吽 、共生のコトバと名付けたい

(未定稿。推敲中)


2 件のコメント:

  1. 初めまして。みよこと申します(__)
    いきなりのコメント失礼します。

    共通マイミクの“もなかさん”のコメントを拝見してお邪魔しました。

    主人の実家が松山なので、とても嬉しくてコメントさせて頂きました。

    美津の渡し船、新しくなったのですね!
    先日のお写真の神社へは、渡し船に乗って初詣に行きました。

    “魚やかあちゃん”へは、いつか行ってみたいね!!と義母と企んでいます☆

    お写真の場所があまりにも、近所なので驚いています。

    松山大好きです(^^)

    宜しかったら、またお邪魔させて下さい。

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  2. みよこさん

    失礼なんて、とんでもない。
    本当に嬉しいコメントをいただいて感激です。
    ご主人の実家が松山!
    お義母さんと渡しに乗って初詣!
    感慨一入です。

    生まれ育ちも愛媛(南のほうです)、松山の生活も40年を過ぎましたが、三津浜界隈を”ぶらり”親しむようになったのは最近のことです
    「デビラ街道」の記事に出逢えたことに「だんだん。ありがとう♪」です(笑)

    きょうの、ご訪問にも「だんだん」(^O^)/♪

    これをご縁に、今後ともヨロシクお願いします。

    misasi拝

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