ご近所の方から「畑になったね」と嬉しい言葉を掛けて貰えるようになった。
何も知らないんだから、教えられることを愚直にやってきたことへのご褒美^^
昨夏には朝の9時に畑に降りて、「何をやるんじゃ?」と呆れられたこともあった
盛夏の9時は午前の畑作業を仕舞う時刻^^;
陽の昇りと共に作業を開始する。
穀雨の今時分は6時起床、7時に畑に立つようにしている。
起床したら歯磨き、洗顔し髭をそって気分を引き締める。
そして県道33号線を西に走り、桜ケ峠(さくらんとう)へ、桜ケ峠トンネルはR441で最初は戸惑ったものだ
峠を下ったところにあるコンビニで新聞を買う。これは四季を問わず変わりない。
畑のある魚成の川向地区は魚成の西で、泊作業に使わせてもらってる家あたりが魚成の西端と言ってよい。
家並みが途切れ、田穂(たお)地区に入り桜ケ峠トンネルへと続く。
田穂が城川町の西端である。
くどくど纏まらないけど
魚成(川向)-田穂ー野村は極めて近い位置関係にあることを説明したいだけ^^;なんですが、もう少し下手な説明を
城川町を南北に走るR197を魚成橋を西へ走るのが県道35号線。
地図を見れば、西から東に向かって流れる魚成川沿いを走り、川向からは田穂川沿いを走りる形ですが、川にヘバリついたような旧道と違い川を見下ろすことはできません。
魚成郵便局辺りからは、ほぼ直線といった感じになりますが川向から田穂との間は人家が途絶え南北の山が競り合ったような、道が大きくカーブするところがあります。
そして県道33号線を西に走り、桜ケ峠(さくらんとう)へ、桜ケ峠トンネルはR441で最初は戸惑ったものだ
峠を下ったところにあるコンビニで新聞を買う。これは四季を問わず変わりない。
畑のある魚成の川向地区は魚成の西で、泊作業に使わせてもらってる家あたりが魚成の西端と言ってよい。
家並みが途切れ、田穂(たお)地区に入り桜ケ峠トンネルへと続く。
田穂が城川町の西端である。
くどくど纏まらないけど
魚成(川向)-田穂ー野村は極めて近い位置関係にあることを説明したいだけ^^;なんですが、もう少し下手な説明を
城川町を南北に走るR197を魚成橋を西へ走るのが県道35号線。
地図を見れば、西から東に向かって流れる魚成川沿いを走り、川向からは田穂川沿いを走りる形ですが、川にヘバリついたような旧道と違い川を見下ろすことはできません。
魚成郵便局辺りからは、ほぼ直線といった感じになりますが川向から田穂との間は人家が途絶え南北の山が競り合ったような、道が大きくカーブするところがあります。
手前がmisasi畑のある川向(東)
奥方面(西)が城川町田穂、桜ケ峠、そして野村町へ繋がります。
右手に白い看板のようなものが見えます。
前から気付いていたんですが、駐車スペースがなく遣り過していましたが先日、コンビニの帰路、見通しの良い路肩に車を停めて、その場所まで歩き撮影しました。
奥方面(西)が城川町田穂、桜ケ峠、そして野村町へ繋がります。
右手に白い看板のようなものが見えます。
前から気付いていたんですが、駐車スペースがなく遣り過していましたが先日、コンビニの帰路、見通しの良い路肩に車を停めて、その場所まで歩き撮影しました。
サルバイ(伝説の地)
昔、むかし田穂の領地をめぐって
魚成の神様と野村の神様が
境界争いをされました
両方(の)神様は各々の社を出発し
出合った所を境界(に)す(る)と
約束さ(れ)ました ある朝一番鶏を
合図(に)魚成の神様(?)牛に乗り 野村の
神様(?)猿に乗(り)出発されました
猿の方が足が速く野村の神様は
とうとうここまで来て、魚成の
神様と出合いました。
この場所を猿が奪ったところから
猿奪い(サルバイ)と地名が
付いたと言ふことです
昭和五十一年十一月
謹書 野村(・・不明・・)
猿が奪ったから猿奪い(サルバイ)とは、地名の由来に頓知話を被せた知恵の面白味を感じます。
語感だけですが、サル、去る、別れ・・そんな裏面を想ったりもしますが
☆城川町教育委員会編『城川のむかし話』(以下「本」)に、「サルバイの話」(魚成)として掲載されています。
「昔、野村地区の氏神様である三島様と、魚成地区の氏神様である一宮様とが領地の争いをしたことがありました。
田穂という部落は、ちょうど野村と魚成の間にあったので、両方の神様とも、この田穂の土地は自分の領分であるといいはって一歩もあとにひかなかったということです。(p134)
三島さんが猿に乗り、一宮様が牛に乗り進んだところ、この地点で出合ったことは看板にあるとおりですが、仲介をしたのは出雲の神様だそうです^^
さて、この争いの結末ですが、「本」によれば
「野村の三島様は、得意になって、「約束どおり、わたしが勝ったのだから、この田穂の土地は、わたしの領分とさせてもらいます。そして、あなたは、牛でおいでになって負けられたのだから、これから、毎年野村地区のお祭りには、この田穂の部落から、牛をお供に出させてください。」ということになりました。(p137)
「いまでも、三島様のお祭りには、田穂から牛鬼をだすことになっていて、そのしきたりがずっと続いています。
田穂の人びとは、お祭りのお祝いは、魚成の一宮様のときにして、ごちそうを食べたりお客をよんだりしますが、牛鬼をだすことはありません。つまり、牛鬼をだすのは、三島様のお祭りのときだけということです。(p138)
===大文字は引用者===
☆☆魚成の氏神様である一宮様(いっくうさま)の秋祭りは11月3日
昨年は、祭りの朝、神輿、四つ太鼓の準備に加えてもらいました。
前日の2日には鹿踊りの準備の様子を見学させていただきました。
南予地方の秋祭りには鹿踊りが奉納されますが、魚成は五つ鹿、男河内地区に伝承されています。
感激、興奮が鮮やかに蘇ってきます。
前日の2日には鹿踊りの準備の様子を見学させていただきました。
南予地方の秋祭りには鹿踊りが奉納されますが、魚成は五つ鹿、男河内地区に伝承されています。
感激、興奮が鮮やかに蘇ってきます。
牛鬼(うしょうに)も南予の祭りに欠かせない。
お旅所での神幸式(みゆき・-)では親子の牛鬼が門構えして地区の人を迎え、式が終れば地区内を巡行する。
どこの地区が担当されているんだろう・・
巡行のあとを少し歩いたが、担ぎ手は各地区の若手の方のようだった
神幸式の一部ですが
☆☆ことしの秋祭りには、魚成の牛鬼について歩いてみたい
サルバイを越えて田穂の地区も巡行するんだろうか・
サルバイの看板の道路向かい側(南)
サルが上手に操り渡って来たカズラかな?藤の花が咲いている
桜ケ峠から田穂川が田穂の土地を潤し、そして川向へ、そこで魚成川に合流する
今日も流れる
サルバイを越えて田穂の地区も巡行するんだろうか・
サルバイの看板の道路向かい側(南)
サルが上手に操り渡って来たカズラかな?藤の花が咲いている
桜ケ峠から田穂川が田穂の土地を潤し、そして川向へ、そこで魚成川に合流する
今日も流れる
歩こう
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初めまして。
返信削除中津川出身の者です。
私は桜ヶ峠→さくらがとうげ
牛鬼→うしおに
と言っていました。
その呼び方もあるんですかね^^
しばらく帰っていない地元の話、すごく懐かしかったです。
中津川出身の匿名さまへ
削除え?さくらんとう・・
ボクも最初は、なんなん?解らなんだんですが^^;
サクラントウの方が、舌が滑らかになりました^^
ウショウニは・・
小さいころ(成川渓谷の近くで産まれました)からです^^
コメントをありがとうございます^^
これからも宜しくお願いします。