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2014/12/08

山口の水車 (遠野)

遠野市土淵山口




■山口の水車



案内文(太字:引用者)

数多くの物語を語り伝えてきた山口は、ぶんだ峠、界木峠の入り口にある坂の多い村でした。
曲り屋をかこんでヒエ・アワ・豆畑が広がり、これらの脱穀や製粉のため水車は昼も夜もゴトゴトと音をたてて粉塵を噴き上げ、静かな風景のなかで力強い鼓動を響かせていました。


『遠野物語」五

 遠野郷より海岸のはま吉利吉里きりきりなどへ越ゆるには、昔より笛吹峠ふえふきとうげという山路やまみちあり。山口村より六角牛ろっこうしの方へ入り路のりも近かりしかど、近年この峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に出逢であうより、誰もみなおそろしがりて次第に往来もまれになりしかば、ついに別の路を境木峠(さかいげとうげ)という方に開き、和山わやま馬次場うまつぎばとして今は此方ばかりを越ゆるようになれり。二里以上の迂路うろなり。
○山口は六角牛に登る山口なれば村の名となれるなり。
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注1)四方の山々の中に最もひいでたるを早池峯(はやちね)という、北の方附馬牛つくもうしの奥にあり。東の方には六角牛(ろっこうし)山立てり。石神(いしがみ)という山は附馬牛と達曾部たっそべとの間にあり・・
(遠野物語二話より抜粋)




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山口の水車アルバム
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資料) http://textview.jp/post/culture/14641 より

此(この)話はすべて遠野の人佐々木鏡石(きょうせき)君より聞きたり。昨明治四十二年の二月頃より始めて夜分折々訪ね来(きた)り此話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話上手には非(あら)ざれども誠実なる人なり。自分も亦(また)一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。(……)

『遠野物語』序文の冒頭です。「佐々木鏡石君」とあるのは佐々木喜善のことで、「鏡石」はペンネームです。

佐々木喜善は明治十九年(1886)に遠野の土淵村の山口という集落で生まれ、




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