ページ

2011/03/22

”花” 桜が咲いた!  (宇和島市丸山公園・3/20開花宣言)

◇桜(ソメイヨシノ)の開花宣言を独自に出している宇和島市は20日、丸山公園の桜が咲いたと発表した。 (3/21毎日新聞 愛媛版・姫だるま)

チャリを押して闘牛場を目指た。


宇和島港(西)方。

仙台より伊達公もこの方から入城したのだろうか














宇和島城も眼前に。

天守におわす東北の魂に祈る
















桜並木

サクラ

サクラ

サクラ 咲け!

サクラ サクラ 

サクラ 一刻もはやく  東上してくれ! 北上してくれ!!


春の和みを、一刻もはやく届けてくれ。

misasiの場合(1)1/30から・・今日、お彼岸の中日

1/30 双海町の"水仙畑"で写真を撮っていました。


風が強く、粉雪が舞う天気でしたが
久しぶりのカメラブラリで気分は高揚気味でした。

翌日、31日は、何度目かの誕生日ですし(笑)













誕生日1月31日の前日に撮影した写真を、見返している今日は、3/21、彼岸中日です。

宇和島でBlog書いてます。
高校を卒業するまで住んだ家。
ここ3年は空き家然でした。

1月31日に、松山の病院で父が逝きました。
享年89歳。

父の愛して止まなかった宇和島の町に向かいました。
到着したのは1月の終わり時刻に近かったと思います。
斎場で父と過ごしました。

2/1の朝は雪化粧でした。

通夜

福島いわきから長男が駆けつけてくれて

中国大連の次男からは、メールが・・

2/2葬儀

喪主挨拶のなかで
誕生日を命日にしてくれたのは、父の愛情と思う・・そんなことを述べたように思う。

この間のことはBlogにも書いたと思う。


49日法要、納骨は宇和島の家から。
当然の事にそう思った。
2月2日から、宇和島の家で過ごすことになった。

御霊供を作り、絵本を読んで。
天気の良い日は、街を歩いた。

仏事は全く疎く、ネットなどを繰って
49日法要、納骨は3/13(日)とした。

指折り数えたら、49日最近の土、日が彼岸に入る・・御霊のお帰りになるお彼岸に、お見送りするのは無体だろう・・こんな幼稚さだ(笑)

苦笑いを浮かべながら御霊供を作り、絵本を読み、街を巡ったりしていた3月11日

3月11日・・・

10日が過ぎた。

不安、苛立ち、祈り、哀願・・雑多に渦巻いた10日間

奇跡の生還がある

深い感動もある

深い深い絶望、悲しみがある

緊張があった


いま、懸念するのは  緊張の弛緩

これから先のために、振りかえってみたいと思う。

■3/11のtweet (お恥ずかしいが、自己検証のため)

2011/03/18

北灘小6年生一同が「助けたい。お手伝いしたい。」 繋がる環1

煙草をもとめにCVの扉を押そうとしたとき


3月20日(日) 9:00~11:00

宇和島市津島町

     ○うの浜バス停

     ○家次公民館

     ○尻貝農協

     ○福うら農協

     私たちが たっています。

     募金にご協力できる方は  
     よろしくお願いします。 (北灘小6年生一同)


被災からちょうど1週間、


日本の赤文字は、かすれてしまっているが

君たちの、熱い願いは些かもかすれず、皆に届くとおもいます。

きみたちの許に走り、手をとって感謝を伝えたいが、それは叶わない。

たばこ銭だけだが、店内設置の募金箱に投入させてもらいました。


ありがとう!


日本が必ず助かる。
きみたちのような素晴らしい子たちのいる日本が、立ちあがれないことはない。


思い合い、支え合いの環は繋がり拡がる。

ありがとう! がんばろう!

2011/03/07

レトロに彩りあり・宇和島③保手川の景

②に書きましたが、保手川(ほでがわ)は、来村川(くのむらがわ)の通称です。
小3に上がる春に山村から越してきて最初に遊(冒険?)んだ場所ですが・・

今にも崩れ落ちそうに思えた「ほでばし」もスッカリ様変わりです。

木橋で路面は波打っている感じさえあったのですが、周辺の景も一変してます。

河口に見える、黄緑色の橋が、やはり通称「予科練橋」の板島橋。

造船所のクレーンも見えますが、あまり記憶に残っていません。



















と、言うのは「予科練橋」を渡って予科練址を探検するときは神田川沿いを下るのが常でした。

「保手川」探検は、近くの「古城山」での化石拾い、橋の上流方になる三嶋神社に遊ぶことが多かったようです。

葦の茂っていた川原、なにより両岸の景は一変しています。
東岸には桜並木や公民館、グランドも整備されてます。

情けなかったのは三嶋神社に辿りつけなかったこと!(笑)
苦笑いで「ほで橋」にもどったとき!

 石グロ!!

小学低学年には両手でないと持てないほどの栗石を、直径1mから2mほどに積み上げて、潜り込んで来る”うなぎ”を獲るのです!

一つ一つ取り除き、覘きこみ・・・”うなぎ”を生け捕りに!
こんな、「挟み」を使っていました。 うなぎバサミ


もっとも、10才前後の私たちには、とても使えるモノではありませんでした。
わたしたちの役目は、指示に従って栗石を取り除くことでした(笑)

この石グロ漁は、真竹で作った「じごく漁」しか知らない山奥育ちには驚異な光景で、神田川でも見かけることができました。いまは、石積みのあともありません・・。

栗石を一つ持ち上げていた姿を思い浮かべながら、河口方に望遠をむけると「石グロ」を多く認めることができます。


望遠を、西岸方に振ると・・・四つ手網!?

四つ手網小屋!!

引き潮ですから、漁の人は見えませんが、あきらかに現役の佇まい。
チャリを走らせました。

コトバには出来ないショットです(笑)

四つ手網・・・
石グロ・・・



景に移ろいはあろうとも、消してはいけない景がある・・


四つ手網を引き揚げよう

石グロの栗石を持ち上げよう


一歩、一歩だ

消してはいけない景がある