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2011/03/07

レトロに彩りあり・宇和島③保手川の景

②に書きましたが、保手川(ほでがわ)は、来村川(くのむらがわ)の通称です。
小3に上がる春に山村から越してきて最初に遊(冒険?)んだ場所ですが・・

今にも崩れ落ちそうに思えた「ほでばし」もスッカリ様変わりです。

木橋で路面は波打っている感じさえあったのですが、周辺の景も一変してます。

河口に見える、黄緑色の橋が、やはり通称「予科練橋」の板島橋。

造船所のクレーンも見えますが、あまり記憶に残っていません。



















と、言うのは「予科練橋」を渡って予科練址を探検するときは神田川沿いを下るのが常でした。

「保手川」探検は、近くの「古城山」での化石拾い、橋の上流方になる三嶋神社に遊ぶことが多かったようです。

葦の茂っていた川原、なにより両岸の景は一変しています。
東岸には桜並木や公民館、グランドも整備されてます。

情けなかったのは三嶋神社に辿りつけなかったこと!(笑)
苦笑いで「ほで橋」にもどったとき!

 石グロ!!

小学低学年には両手でないと持てないほどの栗石を、直径1mから2mほどに積み上げて、潜り込んで来る”うなぎ”を獲るのです!

一つ一つ取り除き、覘きこみ・・・”うなぎ”を生け捕りに!
こんな、「挟み」を使っていました。 うなぎバサミ


もっとも、10才前後の私たちには、とても使えるモノではありませんでした。
わたしたちの役目は、指示に従って栗石を取り除くことでした(笑)

この石グロ漁は、真竹で作った「じごく漁」しか知らない山奥育ちには驚異な光景で、神田川でも見かけることができました。いまは、石積みのあともありません・・。

栗石を一つ持ち上げていた姿を思い浮かべながら、河口方に望遠をむけると「石グロ」を多く認めることができます。


望遠を、西岸方に振ると・・・四つ手網!?

四つ手網小屋!!

引き潮ですから、漁の人は見えませんが、あきらかに現役の佇まい。
チャリを走らせました。

コトバには出来ないショットです(笑)

四つ手網・・・
石グロ・・・



景に移ろいはあろうとも、消してはいけない景がある・・


四つ手網を引き揚げよう

石グロの栗石を持ち上げよう


一歩、一歩だ

消してはいけない景がある

4 件のコメント:

  1. 宇和島はもう春の雰囲気ですね。

    川沿いに咲く菜の花だけでなく
    空の色や山の様子、水面の輝き…
    みんな春の明るさを感じさせてくれます。


    四つ手網や石グロ、
    私には初めてのものばかりですが
    (四つ手網は先日教えていただきましたね!)
    misasiさんにとっては特別の思いがある風景なのですね。
    それはたぶん、誰でもがそれぞれの心の中に必ず持っている風景なのでしょう。

    私も大切にしていきたいと思います。


    ありがとうございました(^^)

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  2. >もなかさん

    ありがと~ございま~す(^O^)/

    おや春だよ♪
    次の朝は、ブルブル~三寒四温ですね。

    特別な想い・・決して強く印象はされてないんですが、それだけに愛おしいと云うか、そんな感じです。

    育ててもらったことへの感謝でしょうか。
    あたりまえの感謝だけに忘れがちになるけど、消してはいけない・・・

    もなかさん、ありがとう♪

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  3. のんびりした風景ですね。
    菜の花がもう咲いているの?
    misasiさんが過ごす宇和島ぶらりは、
    どんぐりクンの時期を過ごした足跡をたどりながら、
    昔の情景を思い出しているのですね。

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  4. >ohagicyan♪

    おはよう。コメント、だんだん!

    隔世の感さえある光景のなかで、ホッとしたのが、この菜の花だったかな・・花弁の向こうに浮かんできたのは、まさに ”ドングリ頭”のミサシくんでした(^_-)-☆

    オドオドと大将のあとに従ってね(笑)
    全校生徒100名足らずの山の学校からの転校先は、同期の生徒が330人(*_*; 

    景の変化の衝撃の大きさは、板島橋の頭上を走る「宇和島道路(高速道路になれるかな)」、完成当時は田畑の中にポツンと見えた第一期入学の中学校が店舗に隠れてしまった今日のモノより大きかったよ(笑)

    悔いの足あとばかりだけど、引き受ける以外ないからね。misasiの足あとなんだからね。(ニッコリ、微笑んでいるのよ♪

    ありがとう♪

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