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2014/10/28

「猿田 彦」あるいは「ダイバン」 〈1〉

Ⅰ猿田彦(サルタヒコ)

=参考=
『(猿田彦は、)天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり道祖神と同一視された。…祭礼の神輿渡御の際、天狗面を被った猿田彦役の者が先導することがある。』
Wikiより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%92%E3%82%B3
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①神幸(みゆき)(お旅)を行く(城川町魚成一宮神社)の猿田彦命

2012.11.03


猿田彦は魚成一宮神社(地元の方は、「いっくう様」「いっく神社」と呼ぶ。以下、「いっくう様」と表記する時は、魚成の一宮神社を示すこととします。)


神旗

天狗の面を被る「猿田彦命」役


神輿に大国主命が。天狗面を被り太刀を差した役者に猿田彦命が。

まさに天狗の面である。

②神輿渡御を先導する(野村町渓筋 三島神社)の猿田彦

'14.10.27(日)撮影
以下、タニスジの三島神社、タニスジの猿田彦と記す。




拝殿への昇降段の横に「渡御順序」が貼り出されていて、一、猿田彦とある。


従って、間違いなく、これは猿田彦であるんだろうけど、神社境内に参集されてる方とお話しすると、「これは、ダイバン」言われて、「猿田彦神」の認識がない(薄い?)ように感じられたが、後記③で。


三島神社(野村町渓筋)の猿田彦



③「タニスジの猿田彦」は、どうして「ダイバン」と呼ばれるのだろう?


外見ほか、「タニスジの猿田彦」と「いっくう様の猿田彦」を比較してみると


 1)「タニスジの猿田彦」のも大きいが、天狗のイメージには遠い。対して、「いっくう様の猿田彦命」は正に天狗の面相である。

 2)「いっくう様の猿田彦命」が太刀を腰に差しているのに対して、「タニスジの猿田彦」は太刀を差していない。

 3)御霊遷し神事 「いっくう様の猿田彦命の役者が神輿と共に拝殿に昇り御霊が移されるのに対して、「タニスジの猿田彦」役者は拝殿での神事には参加しない。

 4)「いっくう様の猿田彦命」は、いっくう様に祀られる神。「猿田彦神」の神旗あり。
「タニスジの三島神社」は「三島神社旗」が渡御。


取り敢えずの結論(めいたもの)として、「タニスジの猿田彦」は「タニスジの三島神社」の祭神様の渡御、お旅の先導役としてのみ参加しており、神としてのイメージが生活のなかで希薄となったものとしておこう。

一方、他面にあっては、「ダイバン」なるイメージが楽しく愉快なモノとして生活のなかに色濃くあることを示しているとも言える。



さすれば、「ダイバン」とは?

ポスターでしか見たことがないのですが、奥伊予の奇祭として人気を呼んでいる(城川町土居)の「どろんこ祭り」に「ダイバン」が登場します。
写真で見たその面相は天狗そのもので、一見して猿田彦命を思い浮かべました。(と言うより、そのモノと。)
そして、神様も人の心のなかに生きるものなんだから、イケズをすることもあろうけど(笑)
悪戯の度が過ぎて泥田のなかに放り込むとは!と、怒りに似た感想をもったのも事実です。

今年も訪うことが出来なかった(あるいは、しなかった。)んですが


=参考=

「愛媛の祭り5 伊予市永木の鬼(ダイバン)」

愛媛県歴史文化博物館 学芸員ブログ「研究室から」
http://www.i-rekihaku.jp/gakublo/shiryou-chousa/196

※中予地方 伊予市(旧中山町永木)
旧中山町永木地区の秋祭りで出る鬼です。地元で「ダイバン」と呼ばれていますが、中予・南予地方では、鬼のことを「ダイバン」・「ダイバ」と呼んで、怖がられながらも、親しまれています。
松山をはじめ、中予地方には、おそろしい鬼の仮面をかぶった「ダイバ」とよばれる「鬼」が出るお祭りが多くあります。また、「お神楽(かぐら)」という仮面芸能でも、鬼のことを「ダイバ」とか「ダイバン」とよんでいます。これは、愛媛県周辺での独特のよび方のようです。
ダイバという呼び方は、仏教で釈迦(しゃか)の修行を邪魔する悪役「提婆達多(だいばだった)」に由来するものと思われます。鬼も神の邪魔をする役だからです。』
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怖がられながら、親しまれているダイバン(鬼)
魅力的ですね(^^)

追っ掛けてみたいと思います。ユルリンですが^^;

=======10月31日


④どろんこ祭の「ダイバン」

Myルートガイド どろんこ祭保存館

 初代三嶋神社「大番」の面。「大番」とは、観客の笑いを誘うどろんこ祭りの主役。


せいよ観光物産サイト

五穀豊穣、無病息災を祈るお祭り

「どろんこ祭り」は、 田植えが終わった喜びを神に感謝し、五穀豊穣、無病息災を祈る、素朴でユーモラスな田休み行事です。この城川どろんこ祭り保存館は、「どろんこ祭り」の歴史をひも解き、学んでいただけます。


※10月〜3月休館

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鉤鼻ではあるが、天狗面の鼻の印象が強い。

牙を除けたら、魚成いっく様の猿田彦の面に類似を感じる。



ダイバンは鬼であるから、この牙は大切であるが(笑)












2014/08/03

蛍火の樹(レインツリー)



7/29 10:30 ホノルル空港着 バスでアラモアナ・センターへ移動。簡単なオリエンテーション。
お勧め土産の紹介もある(笑)
若干の隙間時間あり、喫煙場所を探す。
センターの裏口(と言ってもデッカくて、ダストの回収場所にもなっている)が大きな通りに面した所にあった。

(デッカいネムノキ?)
樹高があってその花を撮影することは出来なかったけど、それは紛れもなく「合歓の花」
常夏のハワイの陽光に輝いてます。



ネムノキの並木
Silk tree  roadside trees

火垂る…





7/30 「スター・オブ・ホノルル  モーニングクルーズ」を楽しんだあと、ハワイ州庁舎の敷地を通って、イラオニ宮殿、カメハメハ大王像を。

意外に蒸し暑さは感じないが、やはり暑い
その大きな樹影が優しい

そのカタチは、この木なんの木、日立の樹(笑)で知られるが
蛍火のような小さな花が優しく癒してくれます






アメリカネムノキ
ネムノキと同じマメ科の高木。
ネムノキはSilktree
アメリカネムノキはReintree。雨を察知して葉を閉じるからだと…
花言葉は同じで「歓喜」

樹影は大きく広くて優しく疲れを癒してくれます
ホッと
十分に水分を蓄えている地面のグラスに手を当てて見たら…

芽吹き

蛍火が見えます
今を火垂る…



ホテルへの帰路に寄った小さなショッピングモールにも植栽されてます。


7/31 ダイヤモンド・ヘッドへ
山頂への山道は片道1.3kmの急峻な岩場路

平坦地に大きくそびえ立つその樹は、ユッタリ優しい癒しを
山頂にかけての岩山に根を張り、実を着けている若木の姿は、励ましの言葉を掛けてくれてるように思えました。



7/29出発、8/2帰着の行程
さすがに常夏のハワイ
色とりどりの花が咲き誇っていましたが

ハワイ在中、一番カメラを向けていたのは
レインツリーでした。


蛍火の花
今を火垂る
蛍火の樹

2014/05/20

風評と風化 (「美味しんぼ」休載)



庭の草を取っていたら、葡萄が蔓を伸ばしている。
植えたのは3年半前のこと
福島第一原発事故のあと、一時避難をしていたが福島いわき市に戻った長男家族が夏休みに帰省した時のことだ。
蔓は伸ばすが花を着けるまでは世話をすることが出来ず、そうかと言って諦めたわけでも、まして植えたことを忘れてしまっていたと云うことはないんだけれど

漫画「美味しんぼ」の休載の休載が急遽決まったそうだが
==

 安倍晋三首相は17日午後、小学館の「週刊ビッグコミックスピリッツ」の漫画「美味(おい)しんぼ」に主人公らが東京電力福島第1原発を訪問後に鼻血を出すなどの描写があった問題に関し「政府としては、根拠のない風評を払拭をしていくためにも、しっかりと正確な情報を分かりやすく提供していく。国として全力を挙げて対応していく必要がある」と述べた。

 同時に「今までの伝え方で良かったかということも検証する」と語った。

 視察先の福島市内で記者団の質問に答えた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140517/dst14051715360008-n1.htm より

==

首相の発言が圧力となったのかもしれない。

否!

真実を糊塗せんがための言論弾圧として糾弾すべきと考える。


根拠のない風評と云うなら、その根拠を示すべき。

風化させてしまうことを意図しているようにしか思えない。


根っこを枯らしてはいけない!

目をそらしてはいけない!!



#原発 #想像せよ



2014/05/16

十夜ケ橋「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」


十夜ヶ橋について
 昔、弘法大師が行脚のおり、この辺りにさしかかった時、日が暮れてしまい、泊まるところもなく空腹のまま小川に架けた土橋の下で野宿をされました。その折に、一夜限りとはいえ夜明けまでの時間が十夜の長さに感じられ「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」と詠ったことから十夜ヶ橋と名がついたといわれています。

十夜ヶ橋の縁起
 今を去ること一千二百有余年の昔、弘法大師は衆生済度大願のため四国の各地を行脚し給い、当大洲地方をも御巡錫になりました。そして当時、宿も民家も近辺には無く、ご修行中の身であったため、橋の下で一晩お休みになられました。その時お大師様は詩を詠まれました。
 それは『行き悩む浮世の人を渡さずば、一夜も十夜の橋とおもほゆ』という詩でありました。この歌の意味は『行き悩む浮世の人』というのは、日々の生活を過ごすので精一杯で、自分のことを考える時間も無く、悟りを得ることもできず、まよい悩みの世界にいる我われのことです。『渡さずば』悟りの世界にいけるようにするには、日々充実した生活を、心安らかな生活を送ってもらうためには、どうしたら良いのだろうか。どのような方法があるのだろうか。という意味であり、『一夜も十夜の橋とおもほゆ』とは、この事(衆生済度)を考えていると、一晩が十日ほども長く感じたと詠まれたのです。
 お大師様は人々が充実し明るい気持ちで生きていくにはどうしたらよいかと考えていたら、長い長い夜であったと歌を詠まれたわけです。それより十夜ヶ橋という名が起こったと伝えられています。
 大洲の人はこの詩を通じて、自分たちのことを考えていて下さったお大師様に感謝して、橋の下に横になって休まれているお大師様をお祭りし、今に到っているのです。
お遍路さんが橋の上を通る時、杖をつかないという風習はお大師様を「上から杖でつかない、杖の音で起こさない」という思いから起こったものです。


以上 http://www.geocities.jp/toyogahashi/syokai.html より



◼️現在の「十夜ケ橋」


◼️橋の下




◼️大師堂





◼️なで大師



◼️十夜ケ橋 永徳寺







’14.05.15