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2010/09/21

鬼北からの帰り道


19日、モヤリも8時過ぎにははれて、出発のころは青空。

とちゅう、宝泉坊温泉で一風呂。  (鬼北路にはかならず立寄ります。)

HPのにつぎのように紹介されています。

天正の昔、矢傷を負った一人の法師がこの森に逃れ冷泉で傷を癒しました。
この法師は治癒した後もこの地にとどまり仏道修法に念じ、
かんばつには雨乞いを行って雨を恵み
疫病にはこの冷泉を用いて人々を救ったといいます。
村人は法師を「宝泉の御坊様」と崇めるようになり
法師も生涯を村人のために捧げました。
以来、村人はこの冷泉を尊び無病息災にして村づくりに励み、
「宝泉坊様」と称するようになったと伝えられています。

お堂の棚田

かんがえてみると今年は棚田をめぐってないなぁ。
ホンのすこし時間を割いて寄り道。

愛媛にある3つの棚田百選のひとつです。

字が「田穂」。
「田穂の棚田」が似合うんじゃないかな・・初訪問時も同じ感想でした(笑)














ごまじり茶堂

城川町田穂にのこる「ごまじり茶堂」。


城川町には59の茶堂がのこっているとのこと。
お大師信仰の場、通行人への「お接待」の場でもあったようです。

くわしくは 城川茶堂群 をご参照ください。


(西予市HPの名がねぇ・・これは平成の大合併にいまだ肯けないmisasiの独り言です(笑))







18日の仏事でいささか以上のお神酒ではありましたが、

19日、墓所の掃除をすませ、鬼北発→城川(棚田、茶堂)→あとはひたすら松山へ。
これでグッタリでした・・・。
齢だなぁ;;; 翌日が敬老の日であるだけにしみじみと(笑)。


☆★☆~こんな日記が! 
 

日付は 2008.07.19

「道Ⅰ 鬼北へ 鬼北から」



こんな記述から始めています。

鬼ケ城(おにがじょう)の北側に

日本最後の清流といわれる四万十川の最大支流である広見川が・・

奈良川が・・

三間川が・・


川の恵みをいただいて日吉村、松野町、広見町、三間町・・・北宇和郡の4ケ町村を鬼北地方t呼ぶ・・・・

もはや呼ばれていたと言うべきか、



暖竹越しに鬼ケ城

昨年の12/18。この写真を添えて同じく「鬼北(きほく)」と題して日記を書いていました・・

「鬼ケ城」(連山ではなくて一つの山の呼称です)

なだらかな曲線を「子供に添い寝する母のよう」と評される方もいます。

鬼ケ城の北には日本最後の清流といわれる四万十川の最大の支流・広見川など多くの川が流れています。


川に沿って日吉村、松野町、広見町、三間町の4ケ町村を鬼北地方と呼びますが
今般の平成合併で、全ての名前が消えていくことになりそうです・・。

(単純に4ケ町村の合併で鬼北町と思っていましたが~歴史的にも、文化的にも、)
(ひとつの町は隣市と合併。ひとつ迷走したマチは、どうやら別に合併した町に吸収ということになるようです・・)


★~涙;; なんと・・・この成長の無さ;; いつまで経っても同じ地点で地団駄踏んでますネェ

★まぁ、全面的に受け止めて一歩、一歩  いや半歩でも前進しなくちゃいけませんね。





今日は2010.9.21。 ・・・・なんなんでしょうか;;

2007.12.18 写真とメモ

2008.07.17 気取った日記


きのうのBlog・・・

半歩どころの話じゃありませ~ん。
でも挫けちゃいけない。1年前の日記を見ると、その日のコースは高知県の梼原にまで。それも1日で。

体力の衰えだけは否めません。

まずは足腰、足腰、体力増進が課題です!!(笑)

2 件のコメント:

  1. またまた素敵な写真ですね!
    今度私たちも鬼北に行ったときは宝泉坊温泉によってみます!

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  2. >gakuさん、奥さんへ

    ステキなコメントをありがとうです。
    写真を褒めてもらって嬉しいです。

    宝泉坊温泉、薬湯がお気に入りです。疲れとれます!
    心身Reフレッシュ!!まちがいなしです!

    そして鬼ケ城も愛でてくださいませ(笑)。

    総理(wifeです・笑)と、また寄せてもらいます。

    返信削除

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