ページ

2011/03/01

レトロに彩りあり・宇和島①序


父が逝って、 久しぶりに宇和島の実家に・・
松山で享年89歳の最期であったが、愛した宇和島の家で納骨までの日を共にすることにした。
不孝、不忠な息子の最後の親孝行だ。

父は大正12年に宇和島に生を受け、旧制宇和島商業を卒業、延岡の旭ベンベルグ(現・旭化成)に就職し宇和島を離れたが、先の大戦に召集され満州へ。終戦は南方に向かう途上、上海で迎えた。
引き揚げて帰省するが、空襲で焼かれた宇和島に呆然自失。帰職することなく、電信柱に公告されていた県の職員に奉職し、以降は宇和島の地を離れることはなかった。
(これくらいのことしか聞いたことがない。)

もう少し詳しく書けば、宇和島市の燐町、近永(現・鬼北町)に婿入りし、わたしが小3にあがる春までの間と、ここ数年を松山ですごした日は宇和島を離れていたことにはなるが、宇和島に生ま育った89年と言っていいだろう。


わたしの宇和島での生活はと言えば、山村から越してきた小3から高校を卒業するまでの10年と言うことになる。もちろん、大学に進み結婚をし、3人の子の親になり、そして孫をもつ歳になっても実家は宇和島と云うことになるんであろうが・・迷惑を掛け続け足を遠のかせた悔みしか残っていないのがつらい。
そのせいもあって、宇和島の像(心象)が淡くオボロである。小3から高卒までの10年は、確かにこの道を歩き、笑い涙したはずなのだが。

しかし、それを悔やんでもせん無いことで、いま出来ることは淡くオボロなママを受け止め愛しむほかないのだろう。

淡いオボロな道を歩いてみたいと思う。

4 件のコメント:

  1. 何年か前の正月だったかな?
    misasiさんがお父上の背中に手をやり、一緒に石段を上がって行く2人の後ろ姿を思い出しました。
    納骨まで一緒に過ごす親孝行。素敵な親孝行(^O^)/

    返信削除
  2. >ohagicyan♪

    ありがとう<(_ _)>
    2年前だね・・・あの時のこと、親父も覚えていてくれるのかな
    覚えていてくれるよね

      「納骨まで一緒に過ごす親孝行。」

    ohagicyanのこのコトバ、ほんとに嬉しいです。
    ありがとう<(_ _)>

    返信削除
  3. 宇和島にてとても良い時間を過ごしているようで安心したよ~。(送ってよかった、E-Mobile!)

    返信削除
  4. >yamasyoさん

    イーですよ♪ E~Mobile~♪ (^^)/ありがとう♪

    実生活の拠点としたのは、小3から高卒までの10年間・・9才~18才。
    輝いてはいないけど、やっぱ宇和島で育ったんだよなぁと感傷(笑)

    返信削除

ご訪問ありがとうです。
感想などいただけたらうれしいです。