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2011/12/06

奥羽・遠野へ。

遠野

遠野の名を知ったのは18歳のとき。病気もあって志望進路とは真逆のような大学に進み鬱々としていたころ先輩から勧められた柳田國男の「遠野物語」を手にしたことによる。

明治43年発行の遠野地方の伝承説話集の魅力を語る素養はないけれど、おぼろだが心に焼きついた遠野の地に立ってみたい。そう思ったのは確かである。


年が明ければ63歳になる11月30日、遠野へ。
時間が残酷に過ぎて行くなかで消えることとなかった夢を確かめるために・・夢を見続けるために。



■11/30
ANA582
07:45~09:05















羽田空港第2ビル駅(東京)(東京モノレール・ANA利用)
羽田空港第2ビル(東京モノレール・ANA利用)
  東京モノレール区間快速 470円 電車
11:11 - 11:33 22 分

浜松町
















 JR山手線内回り・東京・上野方面 8,510円 電車
11:39 - 11:45 6 分

東京
















 JR新幹線はやて25号 5,130円 電車        ⇒10:40「やまびこ59号」に乗車
11:56 - 13:37 1 時間 41 分
仙台
  JR新幹線やまびこ59号 電車
13:42 - 14:40 58 分


新花巻


朝の6時半に家を出て、以降の行程は予定通り新花巻駅に降り立ったのが14:40。
所要8時間・・
初めて「遠野物語」を手にして間もなく45年・・・

駅舎を出て見上げた奥州岩手の空。


新幹線の駅舎から釜石線へ。











  JR釜石線・釜石行 電車
14:47 - 15:43 56 分 遠野



 定刻通りに、下り釜石行きが発車、遠野駅に到着までの約1時間に150枚の写真を撮っていました。この間、電車先頭に立ちっぱなしでした(笑)


大きな地図で見る

地図を開いて写真をプロットしてみました。

思いのほか、平坦な大地を走る車窓から初めて観た川の流れ・・猿ケ石川
遠野郷から花巻方に流れ来ています。



電車は隧道に入りました。地図を見ると晴山駅と岩見橋駅を繋ぐこのトンネルが花巻と遠野の市境のようです。

初めて観た遠野の景

”イーハトーブ”花巻 と ”心のふるさと”遠野 を繋ぐ「眼鏡橋」 (?未確認ですが)


眼鏡橋は宮沢賢治「銀河鉄道」のモデルと言われています。



あやおり(綾織)の桜並木

あやおり’の地名、その地の桜並木は、遠野の心象として焼きついているものの一つですが目にするのは勿論初めてのことです。






遠野





遠野の地に一歩を踏み出して見上げた空





話上手には非らざれども誠實なる人・・

かく在りたきと、遠野の空に祈る





遠野物語
此話は すべて遠野の人 佐々木鏡石君より聞きたり
昨明治四十二年の二月頃より始めて
夜分折々訪ね來り 此話をせられしを筆記せしなり
鏡石君は話上手には非らざれども
誠實なる人なり
自分も亦 一字一句をも加減せず 感じたるまヽを書きたり
思ふに遠野郷には此類の物語 猶數百件あるならん
我々は より多くを聞かんことを切望す
柳田國男


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遠野へ(新花巻駅から遠野駅へ。釜石線下りの車窓からの写真を動画風に。どの一枚も捨て難く・)


2011/11/20

「みなさんは、竜を見たことがありますか?」《人格と言う名の竜》




「みなさんは、竜を見たことがありますか?」
国王の問いに子供たちが戸惑っていると、国王は続けられた


「私は、竜を見たことがあります」
その一言に子供たちの中からどよめきが上った。

(以下、断片的に心に焼きついた国王の言葉をつなげてみました。)

竜は一人ひとりの心のなかにいます。
私たちは「人格という名の竜」を持っています。

竜は私たちみんなの心の中に居て、経験を食べて成長します。
年を重ねて経験を積み、
それぞれの心のなかにいる龍を大きく強く育てていくことがだいじなのです
そうして、私たちは日増しに強くなるのです。
どうか自分の竜を大きく素晴らしく育てていって欲しい

(涙があふれて書き留めることも出来なかったのですが、このようなお言葉だったと思います。)




竜は珠を持っていて、赤い火を吹くと・・

国王の言葉が、竜の噴出す赤い炎の珠に思えました。

無駄な経験はない。
経験を無駄にしてはいけない。
無駄なことはないんだ。


2011/11/10

「松山市誕生之地」円光寺(松山市湊町四丁目)

松山の繁華街、湊町銀天街に市駅(西)側から入ると右手に「円光寺」がある。
20年ほど前に、商店街組合かなにかの事業でタイムカプセルが埋設されるに立ち会ったことがあるが、その後は足を向けることもなかった。

きのうのお昼、ちょうど前を通ると人が結構出入りしていた。
ちょっと覗くとベンチ、灰皿が目に付いたので一服することにした。


弁当を広げて談笑されてるOLさんも。



■「松山市誕生之地」と刻まれた石碑



碑文を写す

明治二十二年十二月十五日 松山市誕生 湊町四丁目園光寺ニ事務所ガ
設置サレ、明治二十三年四月一日 松山市役所ガ寺内ニ開庁シタ、    
尚、明治二十四年十二月二十八日 出渕町一丁目庁舎ニ移転した、
大正十五年八月 園光寺門徒 御手洗忠孝ガ第七代市長に就任、
市政に貢献シタ、平成元年市制百年ニ当タリ、コノ碑ヲ建立ス、

施主 二神 元       園光寺十五世 郡 徳行 誌ス


平成元年の建立と云うことは、記憶にあるタイムカプセル埋設も市制百年にちなんだものだったのかもしれない・・
出渕町・・・ 記憶にない町名
ま、昭和24年の生まれ、初めて松山の街をあるいたのが小6の修学旅行・・大学の4年間・・
しかし、松山に家庭をもってからでも36年経ったんだよなぁ等思う。(11月9日)

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■松山市HP>文化財課>松山の歴史 から碑文の事項に関する記述を抜粋
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/kybunka/1182250_1047.html 

1889 明治22  4  「市制」施行で松山市誕生。全国で39番目の市。人口32916人
              市制施行により、事務取扱所を湊町4丁目円光寺内に設置する

1890 明治23  12  市役所が開庁する

1891 明治24  12  市役所、湊町円光寺から出淵町1丁目の新庁舎に移転する

1926 大正15    8  御手洗忠孝、第7代松山市長に就任



1989 平成元  11  市制100周年記念式典を挙行する
               第1回坊っちゃん文学賞、1386点の応募の中から大賞に月本裕「キャッチ」を決める
                 市、『松山の歴史』(初版)を発刊する

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■いでぶちまち【出淵町】愛媛県:松山市/松山城下-日本歴史地名大系

[現]松山市三番町五―六丁目付近 松山城下町の南部に位置し、南堀端町に平行して東西に通ずる町筋。東は三番町、西は萱町、南は花園町、北は南堀端町に接する。初め同心町とよばれていたことは、寛文―天和年間( ...

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平成元年、松山市制100周年に当り碑を築いていたとき
ぼくは、たしかに此処にいた・・
園光寺の標柱もあったと記憶しているが今日は見ることが出来なかった

ただ緑板の黄色い文字は活き活きと力強かった


先さんは存知あげないが、お父さんのことを懐かしく思い出した。
もう何十年もお会いしていないが、すばらしいお仕事を積み上げておられるだろうな、そう教えてもらえた黄色い文字である。

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ゆるりんでも歩き続けよう




足跡を刻もう




(11月10日 みさし・記す)

2011/11/06

10/30夜 愛媛県松山市『おとうさんといっしょ』

新築された松山市三津浜支所で


マザーズ・トントンのメンバーであるKさん手描きのポスター



ポスターに紹介されている、あきらちゃん&ラーメンちゃん
「あそびうたコンサート」で全国を駆け巡られておられます。

当日のことを、あきらちゃんが ブログ「あそびうたステージ報告」 に、次のように書かれています。



===10/30夜 愛媛県松山市『おとうさんといっしょ』===

10/30 18:00~19:30愛媛県松山市地域交流センターであきらちゃん&ラーメンちゃんコンサートがありました。三津&宮前&高浜地区のみなさんです。


タイトルは『おとうさんといっしょ!』いい企画です。


公民館の館長はじめ、主事のみなさん、盛り上げ隊として支援してくれた『絵本やコッコサン松山店』えっちゃん店長、子育て支援サークル『ママーズ*トントン』のみなさん(おじいちゃもいましたが(^-^;)!そして、松山の子どもたち!ありがとうございました~。

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紹介していただいている、おじいちゃんが、ジジーズ*トントンのミサシこと私です(^-^;)が、さておきまして、当日の様子を写真で振り返ってみます。

■16時50分会場に到着。舞台で音合わせ中の男性がお一人。



■音合わせをされていたのが、あきらちゃんで、ラーメンちゃんも加わって進行の説明を受ける。
きょうの任務が」盛り上げ隊であることを初めて知る(笑)

要諦は、参加者みな対等と云うこと(子供だから、大人、親だからは考慮しない)にあると理解した。
(まじめに聴いていたので写真はありません・^^

■開会予定(18時)の2,3分前
生憎の雨で心配された出足も、用意した椅子を増やすほどに。


でも、皆さん顔つきが少し硬い感じ。とくにお父さん。



■開会

イヴェントの主催は公民館。「親子ふれあい教室」であると。




■あきらちゃん&ラーメンちゃん 登場~~






軽妙な話芸に笑いは起きるが、やはり硬い感じ。とくにお父さん。


あなたは何月生まれですか~♪
○月のひとは、手を挙げてくださ~い♪





表情が柔らかくなってきた^^
子供が大喜びする姿に頬も緩む

踊る主事さん



子供、お母さんに大受け
お父さんは・・ 俺だって踊れるぜ・・ そんな気持ちを引き出せた感じもする

「それじゃ。椅子をかたずけること。・・カクって言うのかな?」
このタイミングは絶妙

事前の情報収集はお見事である
こちらでは椅子、机を移動さすことを「かく」という。

みんなが、椅子を「かく」。共同作業と言ってよい。

「それじゃ、誕生日の月を言うから、手を挙げて指で教えてくれますか?
そして、おんなじ月の人がグループになりましょうか」・・

1月生まれの私は、よし!と身構えたが、最初に呼ばれたのは違う月。
これも上手い演出と歓心。
みなの意識が、「つぎは○月かな」に集中している。
顔も柔らかに微笑んで



続いて、誕生月ごとのグループを壇上に誘う。
「○月生まれのかたで~す。おめでとうございま~す。」
間の取り方は、やはりプロ

みんなが主役の顔になって来ている^^


☆☆クライマックスへ

きょうのメインは、タイトル「おとうさんといっしょ」に沿ったもので、おとうさんに舞台に立ってもらうこと。

進行の中でおとうさんGを別室に移ってもらうよう「提案」をしますからと、事前の打ち合わせで聞かされていた。

「こども達から、お父さんへ踊りをプレゼントしますから
お父さんも、子供達にお礼の踊りをお願いします。
踊りは、ラーメンちゃんが隣の部屋で教えます~」

じじとん・みさしの主務はココゾと、お父さんの肩越しに
「ひとつ踊りに挑戦させてもらいますか♪」

部屋を出るときはモジョモジって感じのお父さんも別室の特訓にはワクワク顔に。
わたしも特訓中なので写真ありません^^

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子供達からお父さんへ








お父さんから、子供達へ

こちらは 右の手
こちらは 左手

右手と左手を くっつけて~♪

ラーメンちゃんの歌に合わせて踊るお父さん
ジィちゃんも踊りましたよ♪

だから、踊るお父さんの顔を直接見ることは出来ません。

でも、子供達、お母さんの顔に演壇で踊ってるお父さんの顔が映し出されていました。
左右を間違えながら、すこしギコチなくても一生懸命なお父さんの顔を反照さす素適な笑顔が輝いていました。

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あきらちゃんのブログにお礼のコメント書きました。

おはようございます。
ジィちゃんトントン、じじトン"みさしです^^
昨日は本当に、ありがとうございました。
ラーメン体操のあと、楽屋で掛けていただいた「ありがとうございます」のお父さんの声に、泣いてしまいました。
お父さん、お母さん、そして子達の笑顔は、同じ場を共有している。共振している。その感動の顕われだと実感させていただきました。ほんとうに、ありがとうございます。
ますますご健勝にご活躍!よろしくお願いいたします。

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あきらちゃんのブログを覗いたら、お父さんの熱演ぶりがYouTubeにアップされてました。


♪シアワセきぶん あきらちゃんラーメンちゃん愛媛松山お父ちゃん