住所表示は奈良XXX番地であったが、小字の成川で呼ぶのが普通で、山奥であるが北川、牛の川と川の付く地名が多い。水分の地名もある。
成川渓谷の名は景勝地としても親しまれている。
成川には小学3年にあがる春までを過ごした。
その後、足は遠のいた。
血縁がないのが大きな理由だが、宇和島市から水分、成川、近永町(その後、広見町、鬼北町となる。)への道路事情が厳しかったことがある。成川にバスの通ったののも私が幼稚園に入った頃だったと思う。
厳しさの象徴として印象されている地名が、「せんばが峠」と「鮎返」である。
「せんばが峠」の名は、千もの曲がりくねった峠道に由来するのではと思えるものだった。
「鮎返」は字句の通り、遡上する鮎が引き返さざるを得ない急峻な地点と云うことだ。
■そんな道路も現在はこんな感じに。
宇和島市街(手前)から鬼北町方向。国道320号線。
須賀川の支流、”正し川”に架かる”新折付橋”(昭和50年6月架設)
橋を渡り鬼北町方に少し進めば鮎返隧道があります。(昭和54年竣工)
昭和50年は結婚の年。
牛の川まで仲人さんをお迎えに行って、嫁宅まで向かったのですが、新橋は渡ったことになります・・
隧道はなかったんだな・・・ 記憶が残っていません^^;;
この後も、この道を走ったことがないと云うことはありません。
それなのに、いまだに急峻な「せんばが峠」「鮎返」が心象にあるのは・・
初めて車を留めて「レンズ」を覗いてみました。
橋から正し川の上流方を |
橋から須賀川を。下方に須賀川ダム湖面が。 |
心象を覆うモヤリは・・拭いきれません。
■成川の生家の西の畑に柿の木がありました。
生家を購入していただいた方が、町にでられたあと田舎暮らしを望まれた方にお貸ししていると云うのは耳にし、道路から覗う外観に造作の跡を見ることもあったのですが、柿の木はずっと変わらない姿でした。
その姿を見ると、成川に帰ってきたと言う感慨めいたものをもつこともありました。幼い子供たちに「あの柿の木でよく遊んだんだよ」そんな話をしたこともあります。
と言って、深い思い出が刻まれているというものでもないんですが。
きょう初めて車を留めて様子を見せてもらいました。
見上げるような巨木の印象だったのですが、存外に小ぶりに思えました。
やはり8歳の眼ゆえのものなのかな、それとも55年経ったんだから巨木は朽ちて二代目の木になったのかな、そんなことを思いながら裏に回ると、雨戸も畳も取り外されて無住の廃屋となっているのが一目瞭然でした。
■庭木もブッシュのように
と言って、
55年の歳月が過ぎているんだから・それ以上の感慨、感傷はなかったのですが
■一輪咲いたサザンカの花
・・・
まだ硬い蕾はたくさん付けていますが一輪だけ、まるで来訪者を迎えるように
すこし以上に感傷っぽくなってしまいました。
逃げ出したい気分になって畑にもどったら
■カタバミが黄色い花を。
■名も知らぬ紅い花。
無住の、鍬の入らぬ畑に健気に咲く
いや、無住、鍬の入らぬ畑だからこそ咲ききることができるのかも・・
また逃げ出そうとしたとき
講釈は無用だよ
花は唯、おのが花を咲かせる
その無心さが人の心を打つんじゃないかな
人は唯、おのが命を咲かしきることじゃないかな
そんな柿の声が聞こえてきた。
ひとつ捥いで齧ってみた。
昔と同じ渋柿だった
そのことが嬉しかった。
成川にて、手帳にこんなことを書いていたのを写す。
先日はおつかれさまでした。
返信削除実家に帰ったときに記事を読みましたが
涙ぐんでしまいました。年かな?ははは。
文章がうまいせいか。
時間が戻るときがありますが、実は気がつけば確実に
時間が経過していることを実感してしまいます。
綺麗な写真も楽しみにしてます。
匿名さん、ありがとうございます!^^
返信削除こちらこそ、お世話になりました。
想いが文章に出来ず(載らず)いらいらもしますが
立ち止まって振り返って、また前向いて
歩き続けるしかないよなぁ・・そう思ってます^^
ありがとうです!