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2013/06/10

川が刻むモノ、大地に根ざすモノ 「肱川、四万十川の河川争奪(かせんそうだつ)」 (「鹿」のことも^^;

5/25、「四国西予ジオガイド養成講座」を受講しました。
と言って、ガイドを目指してではありません^^;

城川町魚成で畑を耕すようになって半年経ったころ、講座の案内チラシ・・

講座④に「黒瀬川」
「黒瀬川エリア」(三滝山、奥伊予、魚成ジオサイト)
内容として座学(苦手だが^^;)、地質館、三滝山、岩上田、トゥファ、穴神鍾乳洞、田穂の石灰岩、ジュラ紀化石産地、ギャラリーしろかわ、棚田・・

畑のある川向は田穂の隣り
「堂の坂(さこ)棚田」は、農作業の合間によく訪ねるスポット

三滝山には心に強く刻まれた想いもあります

  

いっぽうで岩上田?トゥファ?初めて見る名も
月に一週間から10日の通い農人、ワクワクドキドキ受講を申しこみました^^


■■■四国西予ジオパーク構想/■■黒瀬川エリア/■三滝山ジオサイト


三滝山ジオサイト

サブテーマ:山里に顔を覗かせる古大陸の断片

「黒瀬川構造帯」研究の発祥地として地質学の分野で重要な地域で、大地の成り立ちや黒瀬川構造帯について学ぶことができるジオサイトである。
また、三滝山及びその周辺地域では、三滝火成岩類を始めとする黒瀬川構造帯を構成する4億年以上前の岩石を観察することができる。
      
(5/25資料より)
(アンダーラインは参考としてリンク貼ってます。以下同じ。)


苦手な座学ですが^^;

「肱川の支流である黒瀬川の一部は、その昔、四万十川に流れていたことがわかっています。地形やレキ(石ころ)の並び方、レキの種類などの調査からそう報告されているようです。四万十川を肱川が奪い取ったことから「肱川、四万十川の河川争奪(かせんそうだつ)」と呼ばれています。」

のっけからの「肱川、四万十川の河川争奪(かせんそうだつ)」
惹きこまれました^^
高橋課長さんお見事!





四万十川は「日本最後の清流」で名高く、四国最長の河川。
その流れを一番に支えていると言われる支流の広見川の支流である奈良川の水を産湯に使った私^^;
長らく疑問に思っていたのがその流れる方向・・
水は高きから低きへ流れる
産まれた近永町成川(生年S24年。現在は鬼北町)の山奥に源流の奈良川が西下に隣接する宇和島市に流れず東へ流れ、鬼北町父野川に源流を発し西に流れて来た(そのまま流れれば宇和島)広見川に合流すれば、そこから広見川は流れを大きく東へ転回、山奥へ(そう思ってしまう)流れ四万十川に流れ込む・・なんで?(調べることもせず65歳^^;

河川争奪は、河川流域のある一部分を別の河川が奪う(自らの流域に組み入れる)地理的現象のことで、特に珍しい現象ではない(Wiki)ようですが

「肱川、四万十川の河川争奪(かせんそうだつ)」は、両河川の浸食力の差によるモノではなく、大地の隆起(地球が動いた。大陸が動いた。)の生したモノで、それ故
【日本で最古級】の黒瀬川構造帯を今に遺しているのですね・・大切な記憶が刻み込まれているんですね・・





(画像は座学、昼食のあと訪ねた地質館で)


「川の流れ」が「地形」を成して「生活様式」を醸成する 
(座学で高橋課長)


そう、川は道となって生活を文化を繋ぐ・・
黒瀬川が、その支流の三滝川が鬼北に流れていたとしたら・・・

厳粛な歴史に「もしか」は禁句かもしれませんが、ふっと過ったのです



三滝山を初めて訪ねたのは、東日本大震災直後の’11.4月でした。

misasiBlogに 「城川町窪野の八つ鹿」

youtubeにも^^;

   


高橋課長さんは、窪野八つ鹿の現役の踊り手とか!^^

「鹿」の話も聴かせて欲しいです(^^)


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