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2014/11/20

白面の鹿 (城川町下相の鹿踊り)

11月2日、城川町下相(おりあい)八幡神社の宵宮で。

宮司さんの祝詞で宵宮が始まりましたが
鹿頭の向きが気になりました。神殿の方を向いていなくて参列側に向き合っています。
そして六頭の鹿の面は白色です。瞬間、ジャングル大帝レオが連想されたり(笑)鹿で有名な奈良では白い鹿は「神様のお使い」と言われていることを思い浮かべたり


やはり、白面の鹿は神様の側にあるんでしょうね。一段高いところから参列者と向かい合ってます。
とすれば、「鹿踊り」には、神前に奉納する芸能と言うことの他に何かあるように思えます。
まさに「神のお使い」として「神幸(みゆき)の舞」と言うような…。

雌鹿の面

牡鹿の面



以下は、10月27日 【城川歴史民俗資料館】で撮影。


現存する最古の鹿面



「下相八幡神社奉納の六つ鹿踊の面である。
この鹿面六個のうち、一号面の裏面に「嘉永四年亥八月吉日、裏町
一丁目、森田屋磯右衛門源吉昌花押」の銘がある。同人の作になる
古面は広見町清水に嘉永六年癸丑八月吉日作と、宇和島本町追手に
安政四年丁己六月吉日作が現存しているが、下相八幡神社の鹿面が
南予最古のものであるということができる。よく原形が保たれている
貴重な鹿面である。」(説明文ママ)
注)嘉永四年〈1851年〉
   嘉永六年〈1853年〉
   安政四年〈1857年〉

牝鹿


牡鹿



古面の保存状態の素晴らしさは、それだけ大切に守られてきたことを示すものだが、
その面相が瓜ふたつに現在の面に伝えられていることが感動的だった。

いまの私に、説明文にある広見町(現、鬼北町)清水、宇和島本町追手の古面と現在の面とを比較対照する手立てはないけれど、下相の鹿面同様の伝承保存があることを祈りたい



鹿(子)踊」は南予各地に伝承保存されている。
その底流にあるものは、ヒトとヒト以外の生き物との共感、共生への祈り(自然の中に生かさせてもらってるヒトの祈りではありますが)みたいな…それこそ言葉(論理)では語り尽くせない想いの込められたものだと思います。
父祖の地への想い
今、母なる大地への熱い想いが「しかのこ」の踊に込められ脈々と流れ続けていると思います。

確かに鹿踊は伊達氏の宇和島入部によってもたらされたものでしょうが、それは「しかのこ」の種蒔きであって、各地各様の様式の「しかのこ」と生ったのは「自然を畏怖する純粋な心」が「しかのこ」を育み続けた成果だからだと思います。


そして、そんな側面にこそ注目着眼して「鹿(子)踊」を見つめ向き合っていきたいと思います。


(memo:「鹿(子)」と書いたのは、初めてシカオドリを知った時(小3の時、宇和島でですが)「しかのこ」と呼ぶのが一般的だったように記憶しているからです。そして、南予の鹿踊は伊達氏の宇和島入部によって東北から移入されたもので、東北では「シシ踊」と呼ばれる。鹿子は「シシ」とも読める…妄想も含めています^^; が、各地に伝承保存されている鹿踊の呼称にも興味が湧きます。)


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