夢を見なくなって久しかったのですが・・
最近、こんな夢をみます。
こんなシーンが夢の始まりです。
・・ブナの大樹を見上げているmisasiが・・・・・
自分の姿は映りません。ちょうどカメラのレンズの視点って感じ?・・・
一本の幹の眼になって、あるいは大樹の足許の枯れ葉の眼になっている感じと云う方が合っているかも
うまく表現できません
ブナ林の中を・・ |
彷徨っています。
道に迷っているんじゃないんです。
ブナの幹を次々に渡って
あるいは、チョウチョになって・・・・ (これはアコガレですね・笑)
歩き続けたい、って願望なんでしょうか。
さらに眼の向く方へ |
クリ、シイノキ、ナラ、クヌギ、カシ・・・・実をたわわにして山の生き物の大切な食物を提供します。
そして落葉で山肌を守って雨水を守って流れの源になっているんですね
ブナ林は生命の源(ふるさと)と言ってイイかもしれません。
◆森の魚
森の魚・クエ |
・・・ありえないからユメ?!
石に刻んだ想い!
石に刻んだ想い!
◆森の番人
森の番人・ふくろう |
何を・
たしかに、何かを見つめている
最近、こんなシーンが・・・よく夢にでます。
==最近よく夢に見ます。 - misasi (2008.08.10) のblogを再掲。
掲載した写真「森の魚・クエ」は彫刻家、藤部吉人/Fujibe Yoshitoさんの作品です。
フクロウもテーマのひとつです。
義兄が親しくお付き合いさせてもらっている縁で、昨夏長男家族と大野ヶ原のアトリエに遊ばせてもらった折
イタリア仕込みのピザを焼きながら
「石に、流木に生命を彫り込むと云うか、内在している命を彫り起こすと云うか・・」
ボソボソと呟かれたのが強く印象されてます。
ところが、また夢に見るようになりました。
足踏み、成長のなさのあらわれですが、
しかし、これが在るがママの姿、真実なのですから
引き受けていくしかありません。
その決意の証し(大袈裟!)として、旧い日記を読み返し再掲した次第(^^)/。
みさしさん、直子です。
返信削除おはようございます♪
今朝は久しぶりに
パソコンからお邪魔しています。
ブナの森に深呼吸。
~朝の町小鳥だろうか鳴いていて
私はものをまだ探している~『野原のひびき」より
フクロウの歌もあります。
~ふくろうの濃いこえのなか穴掘って
古い手紙の数枚を焼く~
21歳の時に短歌デビューした私の作品のなかにも
フクロウの歌、あるんですよ。
~裏切りの扉を開けてあう夜に
指輪のなかのふくろうが鳴く~
みさしさんの森の緑に
もう一度 深呼吸。すううぅぅぅぅ。
目も体もすっきりします☆ 直子
>直子さん
返信削除ありがとうございます。
散歩道の土手で携帯で読ませてもらって
いままた読んでます。
~濃いこえのなか
~指輪のなかのふくろう
戦慄すら感じる表現ですね。
肉体と精神が緊張感もって対峙している、そう感じます。
その緊張感を持続したところに
~朝の町小鳥だろうか鳴いていて
私はものをまだ探している~『野原のひびき」より
このような、清々しい歌(コトバ)に結実するのですね。
>「みさしさんの森の緑」
このコトバは、
緊張感を持続できず、足踏みばかかりのミサシのなかに
「みどり」を認めてもらえるところがあるのかな
面映さはありますが、嬉しいです。
励みにして、「ミサシの森の緑」と向き合っていきたいと思います。
ありがとうございます。☆みさし
ブナの森を見上げて。。。
返信削除ブナさんと、森の魚と、森の番人と...何かお話したのでしょうか?
許されるなら、ブナの大樹に登って見降ろしてみたいな♪
ブナの森がどこまで続いているのか。
もしかしたら、夢の先まで続いているの?
>ohagichan
返信削除>ブナさんと、森の魚と、森の番人と...何かお話したのでしょうか?> "交歓"の声が聴こえてくるよ♪
沢山の照葉樹、フクロウが、落ち葉もホタルブクロも森の魚たちが・・迷い人さえも優しく迎えてくれるんだよ。
それは、ブナ林がみんなのフルサトだからと思うんだ。
>もしかしたら、夢の先まで続いているの?
そうだと思うな。
ず~っと、ず~っと続いているの。
そこは、夢のフルサトでもあるから。
ず~~っと、続いていると思うよ。
ありがとう♫
misasi