たますだれの花・・・
幼いころから見慣れた、この花の名前を昨日初めて確認しました。
確認と書いたのは、(たますだれの花・・)どこかで聞いた覚えもあるからです。
校庭の隅っこに
秘密の基地のあった神社の片隅に
そして道ばたに、庭さきに咲いてました。
一斉に咲いて、一斉に枯れてまた咲いて
踏みつけられても、2,3日もすればまたスッキリと咲いている。
きのう、ネットを繰っていたら、こんなステキな文章に出合えました。
鹿児島市にお住まいのまるこさんから、玉簾を詠んだ俳句とお便りを頂きました。
『 待合の道端に咲く玉簾 』 まるこ
『玉簾って、とても原始的で生命力のあるイメージの花です。戦後のベビーブームに生まれた私の幼少の頃の時代風景は、家の塀や道端にたくさん咲く玉簾と共にありました。
あの頃は今から思うとセピア色です。隣家との境界線の垣根は、板で打ちつけた粗末なものでした。経済成長で玉簾の姿も小さくなりましたが、境界を仕切るように白い花は並んでいました。』(まるこ)
団塊の世代が幼少の頃は、田舎ではどこの家でも、玄関先や庭先、蔵の縁などに植えてあった花です。だから、物心ついた頃から視界の中にあって、花として意識するよりもむしろ、建物や道路や石垣や塀などの一部分としての存在だったように思います。
名前だって、まるこさんからお便りを頂くまで知らなかったのです。そして、この花の名前のことについて思いが至ることさえなかったのです。私にとって、玉簾はそんな花でした。
だから、玉簾の花が思い出させるのは、他の花の場合と違って、特定の光景や出来事ではなく、あの頃の日常生活全般の光景や情景なのです。
調べてみると、南米ペルー原産のヒガンバナ科の花で、日本には明治の初期に園芸用として導入された花でした。花の白さを玉、葉の集まっている様子を簾(すだれ)に見立てて、玉簾と命名されたようです。
痩せた場所にも良く耐えて増え、花期の期間も長いので重宝(ちょうほう)されたのでしょう。物資の乏しかった当時は、花の種類も今ほど豊富ではありませんでした。そんな中で、日常の生活の風景に彩(あや)を添えてくれた花に違いありません。
玉簾は、「便りがある(Hear from you)」、「期待」、「潔白な愛」などと言った、私のこの花に対する今までの認識からはほとんど想像が付かない素敵な花言葉をもらっているではありませんか。
( http://washimo-web.jp/Report/Mag-Tamasudare.htm )
※太字は引用者
同じ時代を生きた(団塊第一世代)ものとして、シンパシーがあります。
共振、共感する原風景です。
そして、世代を越えて共有する(共有したい)風景もあるよ・・・そんなこと思った今日の朝散歩です。
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