なんども登場している、この写真から続きを開始です。
写真を撮ったのは、先の8月26日。
Facebook友達の優子さんにお会いして、貴重なお話を伺いました(もう一つの六兵衛坂物語)。
しかし当日は、旧町名・裡町」の標柱に出会えませんでした。
亡父の語りの中に、辰野川の西岸筋を裡町と印象しすぎていたせいかも知れません。
前置きが長くなりますが、語りは次の一節です。
「川沿いに、傘屋さんがあって、渋の匂いが好きだった」
小学校への通学路だったのでしょうか。
生前にボソッと呟いたことがありました。
この二月に、亡父の仕舞に除籍謄本をとった時、生地が裡町であることを知りましたが
閑話休題
きょう、9/19旧町名標柱辿りの一番の目標は「裡町(うらまち)」です。
アーケード商店街を走りました。
この周辺には、なつかしい旧町名がたくさんあります。
【旧町名・袋町(ふくろまち)】
商店街と南予文化会館前を東(写真の右手方向。)へ走る道路との交叉点にありました。
旧・袋町の範囲 |
旧町名の由来は次の通りです。
袋町(ふくろまち)
藩政時代、追手通・堅新町・本町と城堀に囲まれ、袋のように行き止まりになっていたので
この名がついたといわれている。
お城山は目の前に見えます。
==
旧・袋町の標柱から東へ進むと、「旧・本町」の標柱がありました。
【旧町名・本町(ほんまち)】
旧・本町の範囲 |
本町(ほんまち)
旧藩時代、城下の町屋の中心で一丁目から五丁目まであった。
「本」とは根本の意で、商業地の中核として発展した。
旧・本町標柱から城山方を |
東へ進むと、すぐに辰野川を渡る「丸穂橋」へ出ます。
ここまで来ると、方向音痴の私も直感出来ました。裡町は、近くだ!
ありました(^O^)/
【旧町名・裡町(うらまち)】
旧・裡町の範囲と、名の由来は次のように刻まれています。
旧・裡町の範囲 |
裏町とも書く。
本町に対して裏の町という意味で、旧藩時代には北の番所が置かれていた。
一丁目から五丁目まであり、小字の六兵衛坂は通称として現在も残っている。
標柱から城山方(西)の景。
長い営みが刻まれた町名・・
名前は消されても記憶は残ります。
いや、遺さなければいけない。忘れてはいけないモノがある。
しばし佇み、煙草を一服させてもらいました。
===
旧・裡町の標柱から東へすこし行くと、青い橋、丸穂橋(まるほはし)に出ます。
西方を見ると、お城山を見ることができます。
南方、辰野川の上流両岸が、旧北町。
西岸は桜並木になっています。
丸穂橋の辺り |
昔の町名って大切ですよね。
返信削除いろんなことが判るし、〇〇町□丁目ってなんだか。
そこに住んでた人や、地形やいろんなもんが想像できます。
今度宇和島にゆっくり行ってみたいもんです。
>きたきりさん
返信削除コメントありがとうです。
かなり道に迷いましたが、旧町名の標柱に出合うたびに、浮かんでくるんですよね。
大切にしたい記憶です。
宇和島漫ろ歩き!好いっすね♪