より大きな地図で 馬目木大師 を表示
泰平寺さんの山門の西隣に、ご接待の「ゆらぎ庵」があり、壁面にこんな案内がされてます。
「馬目木大師」を訪ねてみました。
どう読むのか解りません。
案内にあるとおり約50mほど南へ歩くと左手に標識が。
その足許には小さな石碑もあります。
案内文をママ写します。
■馬目木大師(まめぎだいし)
九島鯨浦に弘法大師開祖と伝承される遍照山願成寺があり、
海を渡って九島まで行くのは参拝に不便なので
1631年、この地に移されました。
この角を曲がった先にあります。
個人さんの駐車場の敷地のよこに、かっての路地を思わせる道があり、そこを進むと視界が拡がり右奥手に公孫樹の木が・・そして、
公孫樹に守られるように小さなお堂があります。
馬目木大師堂です。
お堂の横手にあるお家の壁に、その名の由来が案内されていました。
■馬目木大師の由来 所在 元結掛
弘法大師が開かれたという九島鯨谷の願成寺は、四国霊場四十番の札所観自在寺(御荘平城)の奥の院であったが、離れ島にあるため順拝に不便であったので、寛永八年(一六三一)に元結掛の大師堂に移し、元結掛願成寺といった。
この寺は明治になってからさらに現在の国鉄駅の近くの竜光院に合併せられた。
この大師堂を馬目木大師といういわれは、弘法大師は鯨大師をつくられたものの、海を渡って九島までお札を納めに行くのはたいそう不便なので、宇和島の海岸にあった渡し場に遥拝所を設けられた。そしてこれに札をかけよといって、馬目木(ウバメガシ)の枝を立てておかれたら、いつしか根づいて葉がしげるようになったという。
元結掛の地名については、いつの頃かここで信仰心のあつい人が頭をそって仏道に入り、その髪を元結(まげをしばるひも)で この馬目木に掛けておいたことから「もとゆい木」といわれるようになったとも。 またこの土地は海岸通りで、通行人の元結が この馬目木の枝にひっかかるので名づけられたともいわれている。
現在もお堂と馬目木が残り、土地の人々の深い信仰の対象となっている。
と呼ばれ、人々の深い信仰の対象となっています。
(案内文ママ)
お堂の横に、若い馬目木(うばめがし)が植栽されています。
お堂の裏は急な勾配の法面になってますが、お堂を覆うような馬目木の巨木はお堂の歴史を物語っているようです。
枝間から空を見上げた時、はるか昔、小3の時に見上げた空と同じだ・・・
恐る恐るお堂の周りをうろついた日を思い出しましたが、当時、大師堂の由来はもちろんウバメガシの名も知ってはいませんでした。
そして、恥ずかしながら当時のママに62才になっているのですが、お大師様信仰の道が宇和島の地にもしっかりと踏まれていることを知ったことを素直に歓びたいなと。
これをご縁に、四国霊場八十八カ所にすこしでも触れてみたいな、そんな事を思った八月の帰省でした。
馬目木大師は、わたしの発心の場所などと(^^)/
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見てるだけで回った気分になってしまいそうですが(笑)
道標にリンクさせてもらいます。
遅くなっちゃったけど、ぶらり、寄り道してみました(^O^)/
返信削除久しぶりに訪れるところは、なぜか心が落ち着きますね。
misasiさん、鐘をついてみたいな。
おはぎちゃん♪
返信削除あれ~?ohagitan♪(^^)/ようこそ~♫
鐘にね、「世界絶対平和」って彫られてあるんだね。
絶対と云う言葉は、あまり好きではないんだけど
「絶対平和」には、強い、深い願いが籠められている感じがしました。
衝いてみたかったけど、時報をまちがえる方がいるといけないので、ナゼナゼして来ました。
宇和島に帰ったときの朝の散歩コースです(^^)/
コメント、だんだん♫