市坪は松山の南西、重信川と石手川に挟まれている。
南北に走るJr予讃線の西側(市坪西町)は中央公園が整備されている。今年のプロ野球オールスター戦が開催された坊っちゃんスタジアム、屋内プールも完備されたアクアパレット松山、県武道館などもある。
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この3月20日に、「市坪歴史めぐり」(市坪町づくり協議会、市坪公民館)が開催されて参加した。
知り合いのWさんが声を掛けてくれた。
「山ちゃんも、ここに来て何年になるかな」
「長男が小学に上がる春だったから、もう25年になるんですね」と応えると
「もう、古顔の新住民だね(笑)」
前記の中央公園が整備されて10年、周辺は大いに様変わりした。Wさんの言われる新住民の数も相当に増えている、しかし古株にはなったが市坪のことを語る何物も持っていない。
「歴史めぐり」を振りかえってみたい。
■洪水との闘いの歴史■
当日渡してもらった資料は、こう始まっている。
はじめに、市坪は昔から洪水との闘いの歴史を経験してきましたが、近年は都市化が進み人口も増えて来るとともに、歴史に対する意識が希薄になりつつあるため、今回の歴史めぐりを計画しました。
のっけから「洪水との闘いの歴史」とは・・・なにか叫びにも似た強い訴え、苛立ちみたいなものをを感じたことを覚えてます。
■石手川の南岸は中央公園の建設にあわせ自転車道、歩道が整備され、現在は朝夕、散歩、ジョギングされる人達が行き来する。中央公園の駐車場まで愛犬を連れてこられる方も多い。
わたしの散歩コースでもあります。
わたしの散歩コースでもあります。
写真前方が西、河口方、右に流れるのが石手川。
左に写っているのが県武道館である。
まことにも様変わりで、市坪に移ってきたころの武道館の側は、棄てられた田畑で草が大人の背丈以上に伸び放題。土手も盛り土だけの堤防であった。
左向きの男性の背後に標柱が建っている。
■学校橋跡
どう言う訳か、歩道に背を向けて建てられている。
現の市坪住民に、ここにはこんな橋があったんですよ。悲しい歴史があったんですよ。と訴えているように思えたり・・。
■安長堤跡
学校橋跡の標柱から西(河口方)へ進んだら、安長堤跡の標柱があります。
案内文を写します。
安長堤
江戸時代の重信川の大改修、石手川の付替え工事によって市坪地区は重信川、石手川に囲まれ、雨が降るたびに、上流から流れ出た土砂が川底を高くし、洪水を起こすようになりました。元和六年(1620年)から延宝六年(1678年)にかけて三度の大洪水にみまわれ土手が崩れ市坪地区は、なにもかも流されてしまいました。
そのとき、安長九郎左衛門という人が、農民の辛さを、自分のことのように哀れみ全財産を投げ出して藩主に働きかけ、村の人々と力を合わせ堤防の復旧工事を行いました。人々は九郎左衛門への感謝の気持ちから この堤防を「安長堤」と言うようになりました。
この標柱も歩道に背を向け、市坪の街区に向かって建てられてます。
■重信川
安長堤を西端までいくと、石手川は重信川に合流します。
中央公園内を流れる傍示川を渡って重信川の北岸に回りこむことができます。
石手川土手の西端から傍示川を渡って重信川の北岸土手へ |
重信川北岸の土手を東上(川上方へ) |
重信川 |
県内に河口のある一級河川は肱川と重信川の二つだけです。
misasi農場は肱川の支流である黒瀬川の支流、田穂川沿いにあります(余談です・笑)
黒瀬川、田穂は地名に依るもので、肱川は小田川との合流地点で「肘を曲げている」ような姿による命名ともききますが重信川は?
安長堤の説明に、江戸時代の重信川の大改修、石手川の付替え工事・・とありますが、大改修の功労者 足立 重信の名に因んで(顕彰して)伊予川の名を重信川と改称されたと言うことです。
司馬遼太郎は、著書「街道をゆく~南伊予・西土佐の道~」の中で重信川についてこう記していあます。
「日本の河川で人名がついているのは、この川だけでないか。(略)領内の重要な河川に家臣の名をつけるなど、よっぽどのことであったろうと思われる。」
■市坪の鎮守・素鵞神社
3/20市坪歴史めぐりの集合場所・素鵞神社 |
■由緒書の後段に、足立重信による伊予川改修のくだりがあります。
慶長の頃 足立重信により伊予川改修の・・
気になったのはその後の記述
慶長の頃 足立重信により伊予川改修の後 しばしば水害の為め 社殿衰退に着せしが
明和八年(一七七一年)現在地へ移転して現在に及ぶ
そして、石手川南岸の土手にある安長堤の説明文・・
偉業の蔭に、為に大きな被害を被った土地があったことを訴えているものではないはずだ。
そう、これが市坪の歴史。 土手に刻みこまれた歴史。消えないし、消してはいけない歴史。
陽のあたる歴史には陰の部分もある、当然のことを再認識する。
一を棄てて九十九のためを成すのが政治の論理であることは否めようもないが、一に拘わざるををえないのもまた人の性、人の道と再確認する。
すこし違った目をして土手を歩けるように思う。
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