「川津南やっちみる会」 さんのブログで8月5日に「楽念仏」が開催されるのを知って見学させてもらいました。
国道197線から県道284号線へ(目印は高井郵便局)東方へ進みます。
菊之谷集落を過ぎたら道は大きくうねり大門峠を越え川津南へと入っていきます。
初めての訪問と言うこともありますが、別世界が拡がった感覚も持ちました。
道なりに進めば北側にお堂の藁屋根が目に入り、石段を昇られる方の姿も。
会場の西方寺の場所を確認しようと車を路肩に。
■瑞光山 西方寺
道からは急こう配です。
見上げると 「瑞光山 西方寺」と刻まれた石柱があります。
山門に見えた萱屋根はお堂のようですが、保存されている城川茶堂より二回りは大きい感じでした。
お堂の前で出会った男性と、6月末から魚成で月に3,4回の畑作業をしていること、今日の楽念仏の開催を知った経緯とかをお話して、闖入の参列、撮影の可否をおたずねしたら
「どうぞ。どうぞ。」と。
楽念仏が地区内の新仏さまの施餓鬼供養で、「打ち上げ」と呼ばれる最後の太鼓、打鐘にあわせた練り(踊り)はなかなかのもんよ。と優しく案内してもらう。
会場では、カクカクで撮影に来てもらえたよとお世話役に紹介していただき、本堂にあがって撮ったらエエわい。
「どこの畑ぞな・・」
「あぁ、その友だちは知らんが親父さんは識っとるぜ・・」
「作物は朝日が当たるのはエエけど、西日は気をつけないかん・・」
「うっとこの施餓鬼は練りがあるから珍しいんよ」
「セガキじゃないぞ、セジキエぞ」
式次第を見ながら話がはずむ。
「施食会」と書いてセジキエ、曹洞宗ではセジキエと呼ぶようです。
参考:「お盆とお施餓鬼について」
細い雨粒が降り続けてました。
上にリンクを貼った「川津南やっちみる会」ブログより
5集落の真中の小高い所には、地区の守り神様「三柱神社」があり、西の方には私達の先祖をおまつりする曹洞宗「西方寺」があります。神様を拝み、仏様を敬う信仰心が厚く、隣近所が助け合う人情豊かな土地柄です。
写真を見返しながら、迎えてくださった方々の素朴な優しが蘇って来ます。
昨年は父の逝去で寺の施餓鬼会に参列しました。表面的に施餓鬼を語ることはできても参列は義務感と言ってもよいものでした。当然、お念仏も唱えることは出来ませんし正座の痛みに耐えるのみでした(笑)
川津念仏をこう語って頂いた方がいます。
「役についたら(太鼓、鐘)念仏は、どうにかにでもすぐ覚えるが踊りはナカナカな」
気恥ずかしさはあったけれど
「言葉は理屈ですから覚えやすいでしょうが、踊りは感性ですから、身体に沁み込ませんといかんですよね」
(うんうん)と大きく首を振った笑顔が浮かんできます。
新仏のいる家のものとして義務感のように参列した昨年の参列、それは理屈の参列だったと言い換えても良いかとおもいます。
川津南念仏を見学させていただいて、やさしく接していただき、共生の場の温かさ力強さを実感することが出来ました。
ありがとうございました。
打ち上げ 共生のリズム(息吹)が轟渡ります。
共生リズムの符牒でしょうか |
ありがとうございました。
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