(ぶらりⅡ)秋山兄弟の像をあとに港山へ。
好古像から元の海岸線にもどり、港山を目指します。
すこし行くと岩礁(?)に
「栽松碑」
梅津寺海岸一帯の松は、明治42年、松山の俊成比古次郎が伊藤博文公および有志者の寄付を得て、松の種を蒔き育てたものです。この由来を後世に伝えるために石碑を建立しました。
碑には建立の時が 昭和五年七月 と刻まれています。
栽松のとき、碑建立の日には・・この岩肌も波にうたれていたのでしょうか。
港山方へすすむと右手は防波堤があり海は見えませんが、
少し行くと砂浜への出入り口があります。
浜には海水浴のための貸し席が組まれていて
カフェもあります。
秋の陽にヒッソリと佇む組み木のあいだに夏の歓声が刻まれてもいるようでもありました。
三津浜内港の入口あたりも望めます。
ここ、浜への入り口で海岸線の道は行き止まって県道へ。
県道にむかってすぐ、公民館に幟が、
あす(10/7)は秋祭り!
しばらく県道を道なりに。
町家が切れて高浜線の鉄路が見えてきます。
ちょうど松山市駅から上り高浜(梅津寺)行きの電車。
踏切の左手に港山駅が隠れています。
踏切を渡って直進すれば海にでます。
海まで100mあまりですが、
時間が濃密に感じられました。
1334~1337年に築城された「港山城跡」の案内。
「子育て地蔵」も祀られています。
そして、 小林一茶!
洗心庵跡
小林一茶句会の地
寛政七年(一七九五)二月九日
案内に依れば、一茶の来遊は寛政七年(1795)一月十五日。一茶、三十三才の時と。
・・二月五日三津浜の方十亭を宿にし九日小深里(現在の港山町)の洗心庵に俳友を集めて句会を催した・・とあります。
一茶といえば雀の句が浮かぶ程度の知識しかありませんが、
三津浜は子規が最後の上京にさいし俳句仲間と集ったところ・・感慨は浮かびます。
海(三津浜内港)は目の前ですが、
幟にあった湊三嶋神社へ。(シマは山ヘンに島の字)
港山城の麓といった位置になるのでしょうか、
三津浜の港を見おろす場所になります。
一茶といえば雀の句が浮かぶ程度の知識しかありませんが、
三津浜は子規が最後の上京にさいし俳句仲間と集ったところ・・感慨は浮かびます。
海(三津浜内港)は目の前ですが、
幟にあった湊三嶋神社へ。(シマは山ヘンに島の字)
三津浜の港を見おろす場所になります。
コメント残るかな?(^o^)
返信削除ばっちゃん、コメントありがとうです。
返信削除これはテストと云うことで今後ともヨロシクお願いいたします♪♪