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2010/11/15

(komoriuta_memo)子守唄は日本のjazz・・

・・なんて管巻いていたころのことが、フッと浮かんできた






バンド松山cub'sの初音合わせに偶々、出合えた
 練習の合間に、
つい同じことを喋っていた

おきて泣く子のつらにくさ
寝た子は、そのまま眼をあけないのがいい・・
悲しみ、怨念を隠し籠めて、これは日本のJazzですよね、 

Jazzと云っても、単語しか知らないのに、
そんな、何十年もまえと同じ言葉をツブヤいていた。

よっさんが、
「そうだ、日本のJazだ!」と、やさしく口を合わせてくれて

 3人が口ずさんだのが、
    ♪守もいやがる ぼんからさきにゃ

竹田の子守唄ですね

     竹田って九州?

(この竹田は・・、)すこし躊躇していたら、練習が再開された。


久しぶりに、
赤い鳥「竹田の子守唄」
1973年5月1日 日本武道館 ラブ・ジェネレーション・ライブ・コンサートの収録らしい



子守唄は日本のJazz・」と管巻いた切っ掛けの唄でないことを確認するために。

つらにくさ の歌詞はない。(消されたのかもしれないけれど

五木の子守唄 にはあったかな・・

蝉じゃござせん 妹とでござる
妹と泣くなよ 気にかかる ♪

里の妹を慈しむ姉の唄と、つよく印象されている


■いらいら感が残滓となって本の中に入り込めない。

こんな時は、本を捨てたが良い。

 いっぷくして、ベットに身体をなげたとき

ねんねこ しゃっさりま~せ♪

あわてて、「ねんねこ しゃっさりま~せ」でgoogle検索

『中国地方の子守唄』発祥の地 井原市 に、

井原市高屋町は、「ねんねこしゃっしゃりま~せ♪」で始まる子守唄の発祥地です。
 この唄が全国に知られるようになったのは、井原市出身の声楽家上野耐之氏が昭和の初め、恩師である山田耕作に故郷の母親が唄っていた子守唄を披露したのがきっかけです。感動した山田耕作が編曲して発表し、広く愛唱されるようになりました。

んねこ しゃっしゃりませ 寝た子の可愛さ
起きて泣く子の ねんころろ つら憎さ

ねんころろん ねんころろん
んねん ころいちや きょうは 二十五日さ
あすは この子の ねんころろん 宮参り
ねんころろん ねんころろん
へ参ったときゃ 何というて 拝むさ
一生この子の ねんころろん まめなよに
ねんころろん ねんころろん

の下には かもめが 日和(ひよ)るさ
かもめとりたや ねんころろん わしゃこわい
ねんころろん ねんころろん

(※斜体と、斜体部の太字は引用者 )

ねんねんころろん ねんころろん 
そのあいだに挟み込まれた
起きて泣く子の つら憎さ♪

宮に参れば
一生この子の ねんころろん♪

一生目を覚まさねばよい と祈ったと読みたいのは穿ちすぎだろうか

これ以上の悲しみ、怨念の言葉はないと思えるのです。




■それにしても、 岡山県、いはら市・・・ 


子守唄の里 五木村 より


五木の子守唄はどれが1番で、どれが2番というものではありません。 また、どれが元唄なのかこれも、ぜんぜんわかっていません。 専門家によると、多分、即興的に歌われだしたものだといわれています。
また、歌詞やメロディの発生時期・時代についての記録も伝承もなく、自然発生的に歌われだしたものが、今日まで伝承されてきたと解釈されています。


(未定稿)

2 件のコメント:

  1. ☆ИоЯΙСнΛИ☆2010年11月17日 12:29

    そういえば、東海林太郎の「赤城の子守歌」もありましたね。

    時代の変化と共にどんどん変わってきますねぇ♪(^ω^人)

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  2. >のりちゃん
    misasiBlogへも、ご訪問、コメントをありがとうです♪

    お、丸い眼鏡の東海林さんをご存じとは!
    わたしの幼いころは、紅白のレギュラー然で、歌われのは何時も「赤城の子守唄」でした(笑)
    映画の主役(国定忠治)を演じられた高田浩吉さんも銀幕の大御所!
    そんな時代がありました。

    時の流れに抗すると云うのではなく

    心に流れつづけるもの、
    あるいは、忘れてはいけないモノ

    拘っていきたいなぁ
    そんなこと、思ってます。

    mixi同様、misasiBlogもヨロシクです♪

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