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2010/09/28

日暮里から谷中へ

日暮里へ

m君が中国へ出向ということで、引っ越しの手伝いに千葉へ。(千葉は初めて。)
どれほどの戦力になったかは措くとして、4日目は好天気で、
「谷中で蕎麦を食べたい。」の我が儘をきいてもらった。

谷根千の名でブームは聞いていたが、昭和の色合いが濃い商店街と云うイメージ以上のものはありません。
むしろ日暮里~日暮らしの里?~山手線で通過しただけですが印象に残っている地名。
谷中へ地図を確認したら”日暮里駅”からのルートを発見したのが谷中行の動機かも(笑)。

JR京葉線。海浜検見川浜駅から東京駅へ。
日曜日の好天気、行楽の姿が多い。
m君のシューズを借りてきてよかったなぁ。(帰松にも履かせてもらいました・笑



紫一本(むらさきのひのもと)という江戸時代の地誌には「新堀を道灌山より望めば、
春秋の景色、日の暮るをも忘るる心にて日暮の里といならわせり」と書かれています。
日暮(ひぐらし)の里と呼ばれ、日の暮れるのも忘れてしまうような見事な眺望があったのでしょうね。
その美しさは多くの浮世絵に描かれています。
・・・

日暮里とは日暮の里という風流な呼び名を新堀にあてはめてできた地名だったのです。

以上のような紹介があります。これで充分に満足(笑)。

喫煙コーナーが! これはうれしい(笑)


東西南北はチンプンのmisasi・・右手、繊維街の方面方は

谷中へ

光景で谷中を匂って左手方へ。


横断橋を渡ったら左右に分岐も右手が谷中と。
右手下に鉄路。
左手は谷中霊園でしょうか・・。往来の人は存外に少ない。

最後、急なアップ、ダウン。
降り切ったところで墓参用の生花を売っているお爺さん(しつれい・笑)が、商売放り出してガードマンのかたと歓談中。

車道に出れば谷中銀座への道と判断できる人の流れ。
御殿坂 に出ました。直進で谷中銀座ですね。(わたしも容易に判断・笑)



この辺りで車道がY字に分岐。
車道は左方へ。右方は車両通行止め!いよいよ谷中銀座でしょうか。
それと・・”生蕎麦”看板をチェックです!(笑)。

谷中銀座のアーケードが!

日暮里駅から直進の道に”石のだんだん”が。眼下に!と云う感じで谷中銀座のアーケードが見えてきました。

階段を降り切ったところに 夕やけだんだん の標識板。意外に見落としやすいかも。


ひぐらしの里 谷中ぎんざ






案内図は 谷中銀座HP(谷中銀座商店街振興組合) より。(青字のお店はHP内で個店情報を見ることができます。)

シャッターの順に並べてみます。



”初音そば”さん~なんと”志ん生、志ん朝”
3名のお客さんで満席!? なにやら落語談議真っ盛りの風情でした。

焼きかりんとう~揚げてないのがヘルシーの売りのようです~”花小路さん”
ユーミンさんのお気に入りとの由。






”江戸民芸・雨彦さん”  江戸手ぬぐいを1枚購入。扇子もほしかった・・(笑)

左側通行(?)のせいでしょうか左手のお店をのぞきながらブラリしていたら右手に人だかりが




”肉のすずきさん” 昭和8年の創業。著名人も多数来店とブロマイドも。メンチカツが人気とのことで「いただきま~す。」

元気いっぱい・元気メンチカツ


石さんならずとも”まいう~”


商店街の中央あたりに”招き猫”


右手を挙げているのと、左手を挙げている招き猫と・・?


招き猫の豆知識
 によると、「右手を挙げている猫は『銭を招くもの』、左手を挙げている猫は『客を招くもの』とするのが一般的なようですが、

いっそ、両手を挙げて!とは参るわけにはいかないでしょうか(笑))

軒先に猫の造りものを飾ったお店もありました。

”はつねやさん”と”初音家さん”の両方に掛って端正な姿勢で座しておられます。

==
商店街をすこし離れて裏通りへ

訪ねるあてがあったわけではありませんが、商店街の裏手の道を歩いてみました。



看板に惹かれて近寄ると、玄関戸の上部にも「谷中初四町會會」の金文字が打たれています。
「初四會」に興味が湧きましたが解決の糸口もなく進むと『岡倉天心記念公園』


ちいさな公園ですが、豊富な緑、都下のオアシスの趣も。



中学生ころでしたか、教科書でみた記憶のある、天心坐像と六角堂。

初音、はつね・・・

商店街にも「初音そば」「初音家」「はつねや」の商号をみることができました・・。


公園の敷地内に台東区の建てた「旧町名由来案内・旧谷中初音町四丁目」の案内板。


説明をそのまま写します。

町名は、本町内に鶯谷と呼ばれるところがあったことから、鶯谷の初音にちなんで付けられた。初音とは、その年に初めて鳴く鶯などの声のことである。
谷中初音町は、はじめ 1丁目から 3丁目として誕生した。明治 2年(1869)のことである。そして同 4年(1871)、江戸時代から六阿弥陀横町または切手町といわれた武家地が初音町 4丁目となり加わった。さらに同 24年(1891)、初音町 4丁目は谷中村、下駒込村、日暮里村の一部を合併し、ここに初音町としての町域を確定した。
本町には、かつて日本近代美術の先覚者岡倉天心が住んでいた。明治 13年(1880)東京大学卒業後、文部省に勤めたが、同 22年(1889)、東京美術学校を開設するなどして日本近代美術の振興につとめた。その天心の旧居跡が現在の岡倉天心記念公園である。公園正面の六角堂 には本区名誉区民・芸術院会員であった平櫛田中作の「岡倉天心坐像」が安置されている。


 「初四會」に籠められる地区の方々の想いを知り得た感慨がありました。

商店街に、その周辺の濃密な時間は歴史の重みそのものなんでしょう。

再び商店街へ

ちょうど「夕やけだんだん」を降りたあたりに出てこれました。(目指したわけではありません・笑)





江戸っ子の心・後藤の飴”やさん。~だんだんから商店街への入り口にあります。
飴やさんですが、気になった「生姜せんべい」と「焼きかりんとう」を3時のお八つに購入(まだ中食まえですが・笑)

生蕎麦へ

まだまだ覘きたいお店はたくさんですが、お八つもゲットしたし、で日暮里方へ。

夕やけ時は一入だろうなと”ダンダン”を上ろうとしたまさに、その時でした~!

谷中ね子ちゃん!! 





見上げる私たちを真似るように「なに見てる?」
そんな、”ね子ちゃん”の声が(笑)))

谷中は、ね子ちゃんの街でもあるようです。

振り返り、振り返り石段をのぼると、「夕やけだんだん」の案内柱が。
ここも見逃され易いのかも。
新鮮な青果が並べてありました。お客さんは地元のかたですね。


そして谷中はお寺さんの街でもあります。
目指す蕎麦やさんは近くて遠い(笑)~ゆるりん、ゆるりんです。

 名刹、大黒天・経王寺の山門。(夕やけだんだん石柱の向かい側)
大黒天・経王寺山門











旧い佇まいの佃煮やさん。


そして・・ 
そば・川むらさんへ。


 席は満席。(シャッターは遠慮いたしました。)

注文は前を通ったときから、いや松山出発のときから決めておりました。

”もり大”と冷酒~久保田と決めておりました(笑)))

ひさしぶりの 久保田 紅寿 美味しゅういただきました・・・(余韻~)

==

来た道を逆にたどって日暮里駅へ。

山の手線駅舎の向こうに 東京スカイツリー!!

なにかご褒美をいただいた感じも。
でも、初めてみた東京タワーの畏怖感には及ばず~45年もむかしの話だが。


来月は中国へ発つm君は28歳。
「帰国したら谷中に住んでみたいな。谷中行は良かったね」 そんな言葉がうれしかった。

4 件のコメント:

  1. 日暮里にもこんなに良い名所があったのですね。
    日暮里駅の西口方面ですか~?
    谷中ネコちゃんが可愛い♪
    私好みの茶トラです。

    日暮里は繊維問屋でも有名なんですよ。
    私はいつも東口の方へ降ります。

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  2. 今度、misasiさんのこの日記を参考にして、
    日暮里の街を散策してみたいです。
    by ohagicha

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  3. ohagicyanヘ。

    人を人と思っていない感じさえが可愛い子だったです。
    谷中ね子”ちゃんって命名したのです(笑)。

    繊維問屋さんは駅舎に出て右手に見えたビル街ですね。こちらが東口なら谷中は西口方面になりますね。

    駅から10分ほどで着くんじゃないでしょうか。
    ぜひ一度。夕やけだんだんを下った右手のマンションに”谷中ね子”ちゃんが待ってくれてます。

    コメントありがとう♪

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  4. ohagicyan

    うれしいな♪

    もし、谷中ね子ちゃんに出逢ったら「よろしく」言っといてくださいね。

    それと、”元気なメンチカツ”はお勧め!(笑)。

    あ~、misasiも行きたいー(()))

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