19日、モヤリも8時過ぎにははれて、出発のころは青空。
とちゅう、宝泉坊温泉で一風呂。 (鬼北路にはかならず立寄ります。)
HPのにつぎのように紹介されています。
天正の昔、矢傷を負った一人の法師がこの森に逃れ冷泉で傷を癒しました。
この法師は治癒した後もこの地にとどまり仏道修法に念じ、
かんばつには雨乞いを行って雨を恵み
疫病にはこの冷泉を用いて人々を救ったといいます。
村人は法師を「宝泉の御坊様」と崇めるようになり
法師も生涯を村人のために捧げました。
以来、村人はこの冷泉を尊び無病息災にして村づくりに励み、
「宝泉坊様」と称するようになったと伝えられています。
お堂の棚田
かんがえてみると今年は棚田をめぐってないなぁ。
ホンのすこし時間を割いて寄り道。
愛媛にある3つの棚田百選のひとつです。
字が「田穂」。
「田穂の棚田」が似合うんじゃないかな・・初訪問時も同じ感想でした(笑)
ごまじり茶堂
城川町田穂にのこる「ごまじり茶堂」。
城川町には59の茶堂がのこっているとのこと。
お大師信仰の場、通行人への「お接待」の場でもあったようです。
くわしくは 城川茶堂群 をご参照ください。
(西予市HPの名がねぇ・・これは平成の大合併にいまだ肯けないmisasiの独り言です(笑))
18日の仏事でいささか以上のお神酒ではありましたが、
19日、墓所の掃除をすませ、鬼北発→城川(棚田、茶堂)→あとはひたすら松山へ。
これでグッタリでした・・・。
齢だなぁ;;; 翌日が敬老の日であるだけにしみじみと(笑)。
☆★☆~こんな日記が!
日付は 2008.07.19
「道Ⅰ 鬼北へ 鬼北から」
こんな記述から始めています。
鬼ケ城(おにがじょう)の北側に
日本最後の清流といわれる四万十川の最大支流である広見川が・・
奈良川が・・
三間川が・・
川の恵みをいただいて日吉村、松野町、広見町、三間町・・・北宇和郡の4ケ町村を鬼北地方t呼ぶ・・・・
もはや呼ばれていたと言うべきか、
日本最後の清流といわれる四万十川の最大支流である広見川が・・
奈良川が・・
三間川が・・
川の恵みをいただいて日吉村、松野町、広見町、三間町・・・北宇和郡の4ケ町村を鬼北地方t呼ぶ・・・・
もはや呼ばれていたと言うべきか、
暖竹越しに鬼ケ城
昨年の12/18。この写真を添えて同じく「鬼北(きほく)」と題して日記を書いていました・・
「鬼ケ城」(連山ではなくて一つの山の呼称です)
なだらかな曲線を「子供に添い寝する母のよう」と評される方もいます。
鬼ケ城の北には日本最後の清流といわれる四万十川の最大の支流・広見川など多くの川が流れています。
川に沿って日吉村、松野町、広見町、三間町の4ケ町村を鬼北地方と呼びますが
今般の平成合併で、全ての名前が消えていくことになりそうです・・。
(単純に4ケ町村の合併で鬼北町と思っていましたが~歴史的にも、文化的にも、)
(ひとつの町は隣市と合併。ひとつ迷走したマチは、どうやら別に合併した町に吸収ということになるようです・・)
★~涙;; なんと・・・この成長の無さ;; いつまで経っても同じ地点で地団駄踏んでますネェ
★まぁ、全面的に受け止めて一歩、一歩 いや半歩でも前進しなくちゃいけませんね。
★まぁ、全面的に受け止めて一歩、一歩 いや半歩でも前進しなくちゃいけませんね。
今日は2010.9.21。 ・・・・なんなんでしょうか;;
2007.12.18 写真とメモ
2008.07.17 気取った日記
きのうのBlog・・・
半歩どころの話じゃありませ~ん。
でも挫けちゃいけない。1年前の日記を見ると、その日のコースは高知県の梼原にまで。それも1日で。
体力の衰えだけは否めません。
まずは足腰、足腰、体力増進が課題です!!(笑)
またまた素敵な写真ですね!
返信削除今度私たちも鬼北に行ったときは宝泉坊温泉によってみます!
>gakuさん、奥さんへ
返信削除ステキなコメントをありがとうです。
写真を褒めてもらって嬉しいです。
宝泉坊温泉、薬湯がお気に入りです。疲れとれます!
心身Reフレッシュ!!まちがいなしです!
そして鬼ケ城も愛でてくださいませ(笑)。
総理(wifeです・笑)と、また寄せてもらいます。