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2011/06/20

映画「星守る犬」を観ました。

■合わせたわけじゃないですが、「父の日」の今日、映画「星守る犬」を観ました。(6/19)

CIMEMAS・シネマサンシャイン衣山で
「おとうさん」と愛犬ハッピー
■アラスジ代わりの引用に今、ググってきたものです。

6/16産経エンタメニュース より


「星守る犬」が公開 「泣ける」コミックを映画化



3年前に発表されるや「とにかく泣ける」と話題になった村上たかし氏(45)のベストセラーコミックを映画化した「星守る犬」が公開されている。人生に挫折した「おとうさん」と愛犬ハッピーとの心温まるロードムービーで、東日本大震災前の東北で縦断ロケを敢行。主演の西田敏行(63)が哀愁ある演技をたっぷり披露している。

北海道の田舎町で、放置自動車から中年男の「おとうさん」(西田)と飼い犬「ハッピー」の死体が発見される。市役所職員の青年(玉山鉄二)は身元確認のため、偶然知り合った少女(川島海荷)とともに「おとうさん」とハッピーの道程をたどっていく。

(以下、略)


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■観賞前の知識は、西田さん演じる主人公と愛犬ハッピーの北(帰)行ロードムービーで、その行程に福島いわき市ー岩手遠野市が設定されていると云うことだけでした。

逆説的には、この二点、北(帰)行ロード、福島いわき市ー岩手遠野市のルート設定に惹かれたと云ってイイでしょうか。



こじ付けじゃありませんが

舞台の一ついわき市に 孫の、ゆい、あや姉妹、長男一家が住まいしていることは大きな要因です。
歌曲 北帰行 が高校生時分から好きなこともあります。
遠野物語 に憧れ?郷愁?みたいなものを感じていることも。

いわき市を流れる夏井川に白鳥がもどるころに、いわきへ行こう。出来れば遠野まで足をのばしたい。出来れば中尊寺まで。今年こそはと思っています。


■さて措いて、
映画「星守る犬」エンディング直後の感想?観想は、「苛立ち」。


挿話が多すぎて画面が調和していない。
一枚の写真として涙をさそうシーンはあるんですが、それが繋がらない。
(ぼくの感受性の鈍さかもしれません)

それは盛込み過ぎ(登場人物が多すぎる。無理むだな、結果としてジャマな場面?)、説明過多(説明を意図するとしか思えない、予定調和な科白が多すぎる。)のせいではと思いました。


■いわきの海岸のシーンは、その地への個人的な思い込みはあるにしても、キレイな画だと思いました。
海に向かって佇む「おとうさん」「ハッピー」の背姿には「無言のメッセージ・声」も聴けたようにおもいます。

ハンカヅキで店をたたむ店主が、苛立って声を荒げたことを、「おとうさん」に詫びるシーンに泣けました。
この映画で初めて涙のながれた画面です。
しかしそれは、店主を演じた中村獅童さんの演技への感動だったように思います。


「おとうさん」の財布を盗って逃げた少年が登場するのは、このいわき市の海岸の店です。
パンを万引きしようとした少年を、「おとうさん」が未然に防ぎ一夜の時間を共にします。
事情を訊ねる「おとうさん」に、
それまで貝のようだった少年が一言「じぃちゃんが九州にいる」。
暗示的でドキッとする画面でした。

つぎの展開への期待に手を握りしめました。が、

「おとうさん」の人の好さ(無償の愛の持ち主)を強調するだけの饒舌だけのように思えました。


keyとなる存在の一人の少年だろうと直感したんですが、重要だからこそ、限られた長さのフィルムから捨象することも必要だったのではと、ブログを書きながら思っています。

《原作を未読ですから、wikiから借ります。》


1巻は「星守る犬」とその後日談である「日輪草(ひまわりそう)」の二部構成となっている。
2巻『続・星守る犬』は「双子星」と「一等星」と「星守る犬/エピローグ」からなっている。
星守る犬
2008年8月5日号から8月19日号連載。
「おとうさん」の家に拾われた捨て犬ハッピーの視点で描かれている物語[2]。仕事を失い、病を患い、家族と住む家も失った「おとうさん」(仮名:前田義男[3])が、愛犬ハッピーと共に旅に出て死ぬまでのさまを描いた作品。
日輪草
2009年1月20日号から2月3日号に連載
とある町にケースワーカーとして勤める「奥津京介」が、発見された車の中から見つかったものを手掛かりに車の持ち主を調べようとする話[4][5] 。奥津が過去に飼っていた犬の思い出を交えて描かれている。
双子星
ハッピーの弟犬「チビ」が今まで人に頼る事を拒んできたおばあさん「長野さん」に拾われ、チビの心臓の病の手術・回復と共におばあさんが世間との関わりを取り戻していく物語。
一等星
「おとうさん」から財布を盗んで逃げた少年「川村哲男」の幼少時からおとうさんとの出会い、そして北海道のお祖父ちゃんの家に帰っていく物語。その旅の途中でパグ犬「ハッピー」と出会う。

      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%AE%88%E3%82%8B%E7%8A%AC

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「じぃちゃんが九州にいる」少年は、『一等星』の主人公なんですね。
なら、
『星降るイヌ・一等星』が見たい。
すれ違った「おとうさん」と、彼は何を語ったんだろう。
少年が語るコトバ~無声であっても~を聞きたい。


やはり、本作(西田敏行さん主演)『星守る犬』に登場させるのは欲張りすぎじゃないかと思います。

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奥津青年が、ワゴンの幻想を追いかけて釣り宿に入って行ったシーン。
かなりな無理を感じました。

女主人を演じる余貴美子さんは好感をもつ俳優のお一人ですが、
(原作は読んでないので脚色かどうかは知りませんが)
旦那に先立たれた女主人にすることが必要だったのかな
奥津青年との、謎めいた会話は必要だったのかな
観想としては過飾じゃないかと感じられました。

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温水洋一、濱田マリさんご両名が演じる、リサイクルショップ夫妻にも、あれほど饒舌に語らせる必要があったのか

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三浦正和さんが演じた役にいたっては登場さす意味すら分からない
3枚目の手掛かりの先に、「ラッキー」と記された無住の小屋を配するシーンだけで良かったのではと。

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その一方で、
もっと語って欲しかったのは、藤達也さんが演じられた「奥津青年の父親がわりのおじいちゃん」

「犬がもの欲しそうに星を見続けている姿から、手に入らないものを求める人のことを指す」


もっと語らせてもらいたかった。


それは、映画『星守る犬・日輪草』を待たねばならないといけないのでしょうけど。


そうすれば
奥津青年の描きかたも変わってきたと思います。


動物虐待の記憶、家族の記憶・・呪縛から脱出する手立て、切っ掛けとしたいとの追跡行だと思うのですが
登場時間の長さほど描けていないのでは。(生意気ですが苛立ちの原因の一番です。)


有給をとって、ちょっと行って来ます。の感じは安易すぎるようで、
同行することとなった若い女性も、登場の理由が解らない


「おじいちゃん」との会話~無声でも~を、もっと聞きたい。


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犬も人も、さまざまな犬、人、モノとすれ違い、交叉します。
在るがままに交叉し、すれ違うとき、
無声無音であっても、調和よく響き合うことがあるのではと思います。


収斂さすことに囚われすぎると
声、音が雑音でしかなくなって苛立ったりするのでは・・






思い切ることの不十分さ、詰め込み過ぎが、本作品観賞後の苛立ちの一因じゃないかな、と云うのが今日のところの感想です。


原作読んで、また書けたらと思います。


(6/20)
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(感想いろいろ)



映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
http://cinemassimo.livedoor.biz/archives/51742330.html



【映画】星守る犬/普通の日々
http://blogs.yahoo.co.jp/kuho30/62909097.html

星守る犬/ぴあ映画生活

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☆映画監督は稲本響さんで、
弟の渡さんが、ブログに書かれています。


稲本 渡 オフィ・ブログ 「 Air 」
http://wataru-inamoto.blog.so-net.ne.jp/







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